フランスを家族類型の人口統計で分析
本書は家族人類学者エマニュエル・トッドと人口統計学者エルヴェ・ル・ブラーズが共同で市町村の統計に基づいた地理的・行政的なフランス地図を作成し、「現在の問題」を可視化して分析を加えた人口統計学の研究書であるが、その射程は驚くほど大きく、来るべき未来社会を占う最善の指南書となっている。とりあえず、家族人類学や人口統計学に疎い読者のために、前提となる議論から紹介しておこう。トッドの家族類型によれば、世界の先進国は四つの家族類型のどれかに分類される。すなわち(1)絶対核家族(核家族で兄弟不平等。イングランド、合衆国)、(2)平等主義核家族(核家族で兄弟平等。フランスのパリ盆地、スペイン・イタリアの一部)、(3)直系家族(親は権威主義的で子の一人と同居。兄弟不平等。ドイツ、スウェーデン、日本、韓国)、(4)外婚制共同体家族(親は権威主義的で息子は全員親と同居。兄弟平等。ロシア、中国)であるが、トッドの発見はこの家族類型が近代に至りイデオロギー的に外化されて(1)→自由主義、(2)→共和主義、(3)→ファシズムと社会民主主義、(4)→共産主義とそれぞれのイズムを生み出したとしたところにある。
本書の特色は一八世紀以来のフランスの発展も、ここ三〇年の停滞も、将来的な再起も、四類型のすべてが国内に含まれるその文化的多様性から来るとしたところだろう。
一八世紀にパリ盆地の(2)平等主義核家族地域が先頭を切って脱宗教化し、啓蒙(けいもう)主義とフランス革命を導いて「平等主義的・世俗主義的」な共和制を確立したのに対し、南仏とドイツ国境の(3)直系家族地域はカトリック支配地域として後塵(こうじん)を拝した。二〇世紀に入ると中央山塊と地中海沿岸の(4)外婚制共同体家族が一定の影響力を持ち始めて共産党の得票を伸ばし、(2)と(4)の中心部分が左派、(3)と(1)(ブルターニュ)の周辺部分が右派という地理的・政治的均衡ができあがったが、一九七〇年代後半から顕著になった脱工業化社会、教育の普及、宗教実践の低下、女性の社会進出と婚外出生の増加、移民の増大などの新しい要素により、この均衡が崩れて、フランス理念をつくった平等主義的な中心部が弱まったのに対して、直系家族的周縁部が支配者となりつつある。これが現在、フランスを停滞させている「不均衡という病」の原因である。
では、なにゆえにこうした不均衡は生まれたのか?一つは死に絶えたはずのカトリック教が「ゾンビ・カトリック」として復活したことである。著者たちはシュンペーターの「保護層」という概念をセーフティ・ネットの意味で使って、フランスではかつてカトリックと共産主義が補完的にこの「保護層」の役割を果たしており、「『赤い教会』は、『黒い教会』と同様に」フランス人のある部分にとって「心性的安定の基本要素であった」が、まずカトリックが、ついで共産主義が衰退・死滅する。ところが、蘇生しなかった共産主義とは異なり、カトリックはゾンビ的に復活し、直系家族地域に思いがけない影響力を及ぼすことになる。教育水準の上昇に伴い、両親および祖父母が子どもの教育に熱心な直系家族地域での上昇がより鮮明に現れたが、その傾向は次にカトリック教地域全域に拡大したのだ。「カトリック教の牙城は、いずれも教育の発展の極としての姿を現わしている。これは、大革命と共和制に反対したカトリック教が、死んだ後になって、教育という土俵の上で復讐(ふくしゅう)を果たしたということに他ならない」。対するに、共和制を先導した平等主義的地域では、親子が独立的なので教育水準は停滞した。そして、教育格差は収入格差に転化するから、次の逆説が起こる。「具体的な平等は、革命の企ての平等主義的個人主義が君臨して来たフランス中央部よりも、個人を強固に統合する、フランス周縁部の社会統合主義(ホーリズム)的社会の中に、より保存されて来た」
また、教育格差は女性においてより明白なかたちを取る。それはまず直系家族地域の女性高学歴化と出生率の低下となって現れたが、婚外出生の一般化とともに第二段階の変化が現れる。「複合家族地域は、かつては婚外出生を斥(しりぞ)けていたが、いまや核家族地域よりもはるかに大量にそれを受入れている。(中略)世代間の連帯性が、結婚によって正式化されていない結合にとっての安全保障装置として機能している」。これなど典型的な直系家族国であり、少子高齢化に悩む日本にとって良き参考になる統計ではなかろうか?
このように共著者はフランスのあらゆる問題を統計的マッピングで可視化し、その根源的な古層を浮き彫りにし、最後は国民全体の右傾化を取り上げて国民戦線(FN)の未来を占うところまで行くが、最終的結論は「危機と懐疑の状況にあって、人類学的・宗教的基底の役割は、かえって強まっている」であり、「その深層部分において、フランスはそれほど具合が悪くはない」である。学問の重要性を否応(いやおう)なく実感させてくれる汎用(はんよう)的な研究。日本でも広く読まれることを期待したい。