書評

『「歴史の終わり」の後で』(中央公論新社)

  • 2024/09/11
「歴史の終わり」の後で / フランシス・フクヤマ
「歴史の終わり」の後で
  • 著者:フランシス・フクヤマ
  • 翻訳:山田 文
  • 編集:マチルデ・ファスティング
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(344ページ)
  • 発売日:2022-05-23
  • ISBN-10:4120055353
  • ISBN-13:978-4120055355
内容紹介:
アメリカの政治学者フランシス・フクヤマは、1992年のベストセラー『歴史の終わり』の中で、自由民主主義の支配によって、人類の政治的およびイデオロギー的発展は終わりを迎えたと言った。そ… もっと読む
アメリカの政治学者フランシス・フクヤマは、1992年のベストセラー『歴史の終わり』の中で、自由民主主義の支配によって、人類の政治的およびイデオロギー的発展は終わりを迎えたと言った。
それから30年、世界的なポピュリズムの勃興と自由民主主義諸国を襲う危機を前に、フクヤマが『歴史の終わり』を自ら再考する。
* * *
「ベルリンの壁の崩壊から30年。いまふたたび民主主義を擁護しなければならない時代が訪れようとは思ってもみなかった。」――インタビュワーであるマチルド・ファステイングの最初の言葉である。
フクヤマが、ファスティングのインタビューに応える形で、今日の自由民主主義の深く分析する。
これまでフクヤマが掘り下げてきた「アイデンティティ」、「バイオテクノロジー」、「政治的秩序」などに関するテーマに触れながら、権威主義の台頭と、民主主義が現在直面している脅威の数々を分析。フクヤマは、自由民主主義が陥っている窮状を説明し、その終焉を防ぐ方途を探る。
また本書では、フクヤマの個人的なトピックに触れている。彼の人生とキャリア、彼の思考の進化、そして彼の重要な著作について振り返る。
* * *
●目次
編者まえがき
1 歴史の終わり後に何が起こったのか
2 世界の政治はどう変わったのか
3 反自由主義的な攻撃は民主主義をいかに脅かすのか
4 アメリカは自由主義秩序の導きの光ではなくなるのか
5 オーウェル『一九八四年』のディストピアは現実になるのか
6 フクヤマはヨーロッパの古典的自由主義者なのか
7 フクヤマを国際政治へ導いたのは何か
8 歴史の終わりとは何か
9 なぜデンマークへ行くのか
10 いかにして民主主義国をつくるのか
11 社会が動く仕組みをいかに理解するのか
12 アイデンティティの政治は〝テューモス〟の問題なのか
13 社会と資本主義はいかに影響しあうのか
14 人間本性がいかに社会をかたちづくるのか
15 中国は自由民主主義の真の競争相手なのか
16 わたしたちは文明の衝突を経験しているのか
17 どうすれば民主主義を繁栄させられるのか
18 歴史の未来
むすびにかえて
謝辞
文献
索引

政治経済体制から見るウクライナ侵攻

ロシアがウクライナに侵攻し、一般市民の住宅がミサイル攻撃される様子が連日報じられている。国内でも防衛費倍増を唱えていた安倍晋三元首相が凶弾に倒れ、安全保障の見直しが必至となった。

とはいえ安全保障は軍事力だけで構成されるわけではない。ウクライナとロシアをめぐり、政治経済体制はどう論じられてきたのか。対照的な2冊を紹介しよう。

フクヤマはベルリンの壁が崩壊した1989年にエッセイ「歴史の終わり?」を執筆、冷戦終結後には共産主義ではなく「自由民主主義」が目指すべき規範となったと論じ、大反響を巻き起こした。『「歴史の終わり」の後で』はその後30年間の著作と政治情勢を回顧している。

一書にまとめられた『歴史の終わり』(1992)は自由民主主義に対する楽観論を唱えたかのように読まれたが、フクヤマの力点はむしろ自己に対する承認の欲求(プラトンの「テューモス」)が満たされないときに紛争が起きることにあった。個人の権利や国民の平等は承認欲求を満たすため、自由民主主義が理想とされたのである。

理想を実現するには制度が必要だ。国家権力を制限する「法の支配」と国民の意思を反映させる「民主的な説明責任」、そして「近代国家」の建設だ。それらは米国では新自由主義により弱体化されてしまい、果てに登場したのが「人間に望まれる性格の特徴すべて」に背くトランプ大統領であった。みずからに制約をかける裁判所やメディア、選挙を破壊していったトランプが支持された理由も、民主党が推進したアイデンティティ政治によってゲイ等特定集団が優遇されたと感じる層の承認欲求であった。

フクヤマがアメリカに対する深い憂慮とは対照的に希望を見出すのが、「収奪政治と権威主義政府がロシア的に混ざり合った状態から脱却」しつつあったウクライナだった。幾度も現地を訪れ、指導者養成プログラムを後援して、民主主義国家の建設を手助けした。「最終的にこの問題(注:クリミア併合とドンバスへの侵攻)を解決するのはウクライナの人びとだと思っています」と見通しを述べる。

一方、ウクライナがアメリカとイギリスの手を借り武装したのはクリミア、ドンバスの奪還のためとするのがE・トッドで、看過できないロシアが手遅れになる前に叩いたのが今回の侵攻だという。アメリカ離れを勧める「日本核武装のすすめ」(『文藝春秋』2022年5月号)を軸に、「第三次世界大戦はもう始まっている」という刺激的なタイトルで情勢を診断している。

1990年代にロシア経済を再建させるため顧問となったのがアメリカの新自由主義者であったが、逆にロシアは経済のみならず国家まで破綻の危機に追いやられた。それを立て直したのがプーチンで、若者はエンジニア志向、女性の大学進学率は男性の1・4倍。かつてソ連崩壊を予言した際に用いた「出生1000件当たり乳幼児死亡率」はロシア4・9に対しアメリカ5・4と逆転している。弱体化したアメリカがイギリスとともにウクライナ人を「人間の盾」に取り、血を流さずに戦っていると解釈している。
二人の見通しはどこで対立するのか。冷戦後、紛争が起きるたびにフクヤマ批判として参照されてきたのが、S・ハンチントンの『文明の衝突』(1996)であった。「文化的な価値観も変化する」とみなすフクヤマは、ハンチントンは文明ごとの「価値観の起源は複雑な過去の歴史にあり、究極的には互いに通訳不可能」と考えていたと評している。そのハンチントン説における文明の類型論を家族の類型論に置き換えたのがトッドだった。
トッドは父権制のレベルを低位から高位に向けてアングロサクソンやウクライナ中部(小ロシア)の「核家族」、日本の「男子長子相続」、ロシアに代表される「父方居住共同体家族」に分類、スターリンがロシアで農業を容易に集団化したのに対し小ロシアでは抵抗した農民を虐殺したのも、家族構造が異なるからだとする。共同体家族は法には敬意を払わないが権威には従い、核家族は個人主義を旨として、相容れないのである。

「近代以降の各社会のイデオロギーは、農村社会の家族構造によって説明できる」と唱えるトッドからすれば、自由民主主義が健在だったのはせいぜい1975年まで。それ以降はアメリカでも格差が広がり、選挙に膨大な資金を投入する金権政治では他国の民主主義を云々する資格などない。不平等に歯止めがかからないのは「絶対核家族」だからで、ロシアとは「リベラル寡頭制」対「権威的民主主義」と対比される。

ロシアへ制裁しなかった国の分布地図が驚きで、父権性の強い地域にかなり重なる。自由民主主義の理想は家族幻想に勝てるのだろうか。

第三次世界大戦はもう始まっている / エマニュエル・トッド
第三次世界大戦はもう始まっている
  • 著者:エマニュエル・トッド
  • 翻訳:大野舞
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:新書(208ページ)
  • 発売日:2022-06-17
  • ISBN-10:4166613677
  • ISBN-13:978-4166613670
内容紹介:
ロシアによるウクライナ侵攻を受けての緊急出版。戦争を仕掛けたのは、プーチンでなく、米国とNATOだ。「プーチンは、かつてのソ連やロシア帝国の復活を目論んでいて、東欧全体を支配しよう… もっと読む
ロシアによるウクライナ侵攻を受けての緊急出版。
戦争を仕掛けたのは、プーチンでなく、米国とNATOだ。
「プーチンは、かつてのソ連やロシア帝国の復活を目論んでいて、東欧全体を支配しようとしている。ウクライナで終わりではない。その後は、ポーランドやバルト三国に侵攻する。ゆえにウクライナ問題でプーチンと交渉し、妥協することは、融和的態度で結局ヒトラーの暴走を許した1938年のミュンヘン会議の二の舞になる」――西側メディアでは、日々こう語られているが、「ウクライナのNATO入りは絶対に許さない」とロシアは明確な警告を発してきたのにもかかわらず、西側がこれを無視したことが、今回の戦争の要因だ。
ウクライナは正式にはNATOに加盟していないが、ロシアの侵攻が始まる前の段階で、ウクライナは「NATOの〝事実上〟の加盟国」になっていた。米英が、高性能の兵器を大量に送り、軍事顧問団も派遣して、ウクライナを「武装化」していたからだ。現在、ロシア軍の攻勢を止めるほどの力を見せているのは、米英によって効果的に増強されていたからだ。
ロシアが看過できなかったのは、この「武装化」がクリミアとドンバス地方の奪還を目指すものだったからだ。「我々はスターリンの誤りを繰り返してはいけない。手遅れになる前に行動しなければならない」とプーチンは発言していた。つまり、軍事上、今回のロシアの侵攻の目的は、何よりも日増しに強くなるウクライナ軍を手遅れになる前に破壊することにあった。
ウクライナ問題は、元来は、国境の修正という「ローカルな問題」だったが、米国はウクライナを「武装化」して「NATOの事実上の加盟国」としていたわけで、この米国の政策によって、ウクライナ問題は「グローバル化=世界戦争化」した。
いま人々は「世界は第三次世界大戦に向かっている」と話しているが、むしろ「すでに第三次世界大戦は始まった」。ウクライナ軍は米英によってつくられ、米国の軍事衛星に支えられた軍隊で、その意味で、ロシアと米国はすでに軍事的に衝突しているからだ。ただ、米国は、自国民の死者を出したくないだけだ。
ウクライナ人は、「米国や英国が自分たちを守ってくれる」と思っていたのに、そこまでではなかったことに驚いているはずだ。ロシアの侵攻が始まると、米英の軍事顧問団は、大量の武器だけ置いてポーランドに逃げてしまった。米国はウクライナ人を〝人間の盾〟にしてロシアと戦っているのだ。

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「歴史の終わり」の後で / フランシス・フクヤマ
「歴史の終わり」の後で
  • 著者:フランシス・フクヤマ
  • 翻訳:山田 文
  • 編集:マチルデ・ファスティング
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(344ページ)
  • 発売日:2022-05-23
  • ISBN-10:4120055353
  • ISBN-13:978-4120055355
内容紹介:
アメリカの政治学者フランシス・フクヤマは、1992年のベストセラー『歴史の終わり』の中で、自由民主主義の支配によって、人類の政治的およびイデオロギー的発展は終わりを迎えたと言った。そ… もっと読む
アメリカの政治学者フランシス・フクヤマは、1992年のベストセラー『歴史の終わり』の中で、自由民主主義の支配によって、人類の政治的およびイデオロギー的発展は終わりを迎えたと言った。
それから30年、世界的なポピュリズムの勃興と自由民主主義諸国を襲う危機を前に、フクヤマが『歴史の終わり』を自ら再考する。
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「ベルリンの壁の崩壊から30年。いまふたたび民主主義を擁護しなければならない時代が訪れようとは思ってもみなかった。」――インタビュワーであるマチルド・ファステイングの最初の言葉である。
フクヤマが、ファスティングのインタビューに応える形で、今日の自由民主主義の深く分析する。
これまでフクヤマが掘り下げてきた「アイデンティティ」、「バイオテクノロジー」、「政治的秩序」などに関するテーマに触れながら、権威主義の台頭と、民主主義が現在直面している脅威の数々を分析。フクヤマは、自由民主主義が陥っている窮状を説明し、その終焉を防ぐ方途を探る。
また本書では、フクヤマの個人的なトピックに触れている。彼の人生とキャリア、彼の思考の進化、そして彼の重要な著作について振り返る。
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●目次
編者まえがき
1 歴史の終わり後に何が起こったのか
2 世界の政治はどう変わったのか
3 反自由主義的な攻撃は民主主義をいかに脅かすのか
4 アメリカは自由主義秩序の導きの光ではなくなるのか
5 オーウェル『一九八四年』のディストピアは現実になるのか
6 フクヤマはヨーロッパの古典的自由主義者なのか
7 フクヤマを国際政治へ導いたのは何か
8 歴史の終わりとは何か
9 なぜデンマークへ行くのか
10 いかにして民主主義国をつくるのか
11 社会が動く仕組みをいかに理解するのか
12 アイデンティティの政治は〝テューモス〟の問題なのか
13 社会と資本主義はいかに影響しあうのか
14 人間本性がいかに社会をかたちづくるのか
15 中国は自由民主主義の真の競争相手なのか
16 わたしたちは文明の衝突を経験しているのか
17 どうすれば民主主義を繁栄させられるのか
18 歴史の未来
むすびにかえて
謝辞
文献
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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2022年7月16日

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