政治経済体制から見るウクライナ侵攻
ロシアがウクライナに侵攻し、一般市民の住宅がミサイル攻撃される様子が連日報じられている。国内でも防衛費倍増を唱えていた安倍晋三元首相が凶弾に倒れ、安全保障の見直しが必至となった。とはいえ安全保障は軍事力だけで構成されるわけではない。ウクライナとロシアをめぐり、政治経済体制はどう論じられてきたのか。対照的な2冊を紹介しよう。
フクヤマはベルリンの壁が崩壊した1989年にエッセイ「歴史の終わり?」を執筆、冷戦終結後には共産主義ではなく「自由民主主義」が目指すべき規範となったと論じ、大反響を巻き起こした。『「歴史の終わり」の後で』はその後30年間の著作と政治情勢を回顧している。
一書にまとめられた『歴史の終わり』(1992)は自由民主主義に対する楽観論を唱えたかのように読まれたが、フクヤマの力点はむしろ自己に対する承認の欲求(プラトンの「テューモス」)が満たされないときに紛争が起きることにあった。個人の権利や国民の平等は承認欲求を満たすため、自由民主主義が理想とされたのである。
理想を実現するには制度が必要だ。国家権力を制限する「法の支配」と国民の意思を反映させる「民主的な説明責任」、そして「近代国家」の建設だ。それらは米国では新自由主義により弱体化されてしまい、果てに登場したのが「人間に望まれる性格の特徴すべて」に背くトランプ大統領であった。みずからに制約をかける裁判所やメディア、選挙を破壊していったトランプが支持された理由も、民主党が推進したアイデンティティ政治によってゲイ等特定集団が優遇されたと感じる層の承認欲求であった。
フクヤマがアメリカに対する深い憂慮とは対照的に希望を見出すのが、「収奪政治と権威主義政府がロシア的に混ざり合った状態から脱却」しつつあったウクライナだった。幾度も現地を訪れ、指導者養成プログラムを後援して、民主主義国家の建設を手助けした。「最終的にこの問題(注:クリミア併合とドンバスへの侵攻)を解決するのはウクライナの人びとだと思っています」と見通しを述べる。
一方、ウクライナがアメリカとイギリスの手を借り武装したのはクリミア、ドンバスの奪還のためとするのがE・トッドで、看過できないロシアが手遅れになる前に叩いたのが今回の侵攻だという。アメリカ離れを勧める「日本核武装のすすめ」(『文藝春秋』2022年5月号)を軸に、「第三次世界大戦はもう始まっている」という刺激的なタイトルで情勢を診断している。
1990年代にロシア経済を再建させるため顧問となったのがアメリカの新自由主義者であったが、逆にロシアは経済のみならず国家まで破綻の危機に追いやられた。それを立て直したのがプーチンで、若者はエンジニア志向、女性の大学進学率は男性の1・4倍。かつてソ連崩壊を予言した際に用いた「出生1000件当たり乳幼児死亡率」はロシア4・9に対しアメリカ5・4と逆転している。弱体化したアメリカがイギリスとともにウクライナ人を「人間の盾」に取り、血を流さずに戦っていると解釈している。
二人の見通しはどこで対立するのか。冷戦後、紛争が起きるたびにフクヤマ批判として参照されてきたのが、S・ハンチントンの『文明の衝突』(1996)であった。「文化的な価値観も変化する」とみなすフクヤマは、ハンチントンは文明ごとの「価値観の起源は複雑な過去の歴史にあり、究極的には互いに通訳不可能」と考えていたと評している。そのハンチントン説における文明の類型論を家族の類型論に置き換えたのがトッドだった。
トッドは父権制のレベルを低位から高位に向けてアングロサクソンやウクライナ中部(小ロシア)の「核家族」、日本の「男子長子相続」、ロシアに代表される「父方居住共同体家族」に分類、スターリンがロシアで農業を容易に集団化したのに対し小ロシアでは抵抗した農民を虐殺したのも、家族構造が異なるからだとする。共同体家族は法には敬意を払わないが権威には従い、核家族は個人主義を旨として、相容れないのである。
「近代以降の各社会のイデオロギーは、農村社会の家族構造によって説明できる」と唱えるトッドからすれば、自由民主主義が健在だったのはせいぜい1975年まで。それ以降はアメリカでも格差が広がり、選挙に膨大な資金を投入する金権政治では他国の民主主義を云々する資格などない。不平等に歯止めがかからないのは「絶対核家族」だからで、ロシアとは「リベラル寡頭制」対「権威的民主主義」と対比される。
ロシアへ制裁しなかった国の分布地図が驚きで、父権性の強い地域にかなり重なる。自由民主主義の理想は家族幻想に勝てるのだろうか。