ソ連崩壊「予言の書」から現代を解読する
本書はアメリカの金融破綻を「予言」したことで日本でも一躍有名になったフランスのエマニュエル・トッドが一九七六年、二十五歳のときに上梓(じょうし)した処女作で、歴史人口学の方法に基づき近い将来におけるソ連の崩壊をこれまた「予言」したことで知られる。ケンブリッジで博士論文を準備中だったトッドは、ハンガリーに短期滞在しただけで、ロシア語も知らなかったが、フランスの国立人口統計学研究所で偶然、ソ連の乳児死亡率が一九七一年を境に上昇している統計を発見したことから、この超大国を蝕(むしば)む深刻な危機の分析に乗り出す。ではトッドはなぜ乳児死亡率の上昇にソ連崩壊の兆候を見たのだろうか? 「食糧供給の困難、暖房や輸送の諸問題、医療分野の無秩序といったものは、どんな社会においても、乳児死亡率に即時・直接の効果をもたらす」
トッドが歴史人口学から学んだ教訓は、生まれた人間は必ず死ぬ、ゆえにその「死に方」は社会の実態を推し量る指針になるというものだった。ソ連における乳児死亡率の異常な上昇は社会危機の深刻度を如実に物語っていたのである。
当時、西側観察者はソ連の軍拡に目を奪われ、ソ連社会システムの安定を主張していたが、トッドは内部機構がすでに解体を始めているからこそ軍拡が始まったのだと見てとった。しかも、内部崩壊は東欧の衛星国や連邦内の共和国ではなく、ソ連の中核部でより顕著な様相を示していたのだ。
だが、なぜ、崩壊はソ連内部から始まったのか? それは共産党独裁と計画経済という中央集権的システムの驚くべき非効率(というよりも無秩序)にあった。このシステムの最大の敵は「より豊かな生活がしたい」と願う民衆の願望である。というのも、軍事、鉄道、道路といった集団的な財は中央統制が効くが、個人消費は統制が難しく、ブラックマーケットに任せるほかなかったからだ。「労働者にとって、話にならないくらい単価の安い製品を数限りなく製造して精魂を使い果たすよりは、手仕事に時間を費やして、己の労働から産まれた製品を、コルホーズ員が売る[個人保有農地の]産物と交換する方がましなのだ」。この闇経済という「第二部門」が実質的に国民の生活を支えていたのだが、その分、公的な「第一部門」は徹底してネグレクトされ、非効率と無秩序は極限に達した。なかで最悪だったのが医療・保健で、乳児死亡率はこの部門の崩壊を反映していたのである。
残された道は経済自由化しかなかったが、ソ連指導者は頑(かたくな)にこれを拒んだ。「なぜなら個々人の熱望の水準は、生活水準より急速に上昇するからである。革命というものは、こうした初動的富裕化の局面で起こる傾向がある」
ソ連指導者は民衆と革命を極度に恐れた。共産党の党是が「プロレタリア革命」で、民衆の識字化を促進し、無神論を掲げ、階級闘争を謳(うた)っていたため、この原則が再革命を用意しかねなかったのだ。そのため、民衆を奴隷状態に押し込めることにしたが、これには民衆の不満を抑え込む抑圧装置(KGBほか)が不可欠だった。ところが、ソ連の「第四次産業」と呼ばれたこの抑圧装置がひどく高くついたのである。その高コストを補うために民衆搾取がさらにひどくなり、結果、国営部門の非効率は増し、闇経済は活発化するが、ために、より大きな抑圧装置が必要になり……という悪循環が生まれたのである。また奴隷並の低賃金は産業の機械化を妨げた。機械より人間の方が安いからである。「共産主義経済には、技術的停滞への自動的傾向が存在する」
この「高コストの抑圧装置のパラドックス」の拡大版が東欧の衛星国に睨(にら)みをきかせる目的で駐屯させていた赤軍で、ソ連経済はその経費で沈んだが、衛星国は抑圧装置を肩代わりしてもらったおかげでソ連より一足先に経済的テイクオフを開始することができた。ベルリンの壁はソ連が赤軍経費を支えきれないほど衰弱していたから崩壊したのである。
同じことが軍拡についてもいえる。西側の自由経済の幻影に脅えたソ連は民衆から搾取した富を西側と唯一対抗可能な軍拡につぎ込んだのだ。「クレムリンの指導者たちにとって、軍事的攻撃性もまたイデオロギー的な防衛の一つの形」であったのだ。軍拡で西側を屈服させて軍縮を勝ち取るというソ連の矛盾路線はやがてレーガン大統領の登場で御破算に帰すこととなる。
さて、一九七六年にトッドが行ったソ連分析はすでに「過去」となった「未来予測」にすぎないだろうか? その逆である。「ソ連の軍拡には唯一の原因があるわけではない。システムのすべての弊害とすべての弱点が、最速下降線をたどって、武器の製造と社会の軍国化の方へと押しやって行くのである」という指摘ほど、軍拡続行中の極東の共産国に当てはまるものはない。現代の解読には歴史学の方法が一番役に立つことを教えてくれる本である。