後書き

『社会をつくった経済学者たち―スウェーデン・モデルの構想から展開へ―』(名古屋大学出版会)

  • 2022/09/15
社会をつくった経済学者たち―スウェーデン・モデルの構想から展開へ― / 藤田 菜々子
社会をつくった経済学者たち―スウェーデン・モデルの構想から展開へ―
  • 著者:藤田 菜々子
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(448ページ)
  • 発売日:2022-09-15
  • ISBN-10:4815810974
  • ISBN-13:978-4815810979
内容紹介:
不況・戦争など直面する危機を乗り越え、福祉先進国の礎を築いた経済学者たち。ケンブリッジ学派と双璧をなしたスウェーデン経済学の全体像を、彼らの政治・世論との深いかかわりとともに初めて解明、福祉国家への合意を導いた決定的役割と、現代におけるその変容までを鮮やかに描き出す。
日本とは対照的に「高福祉・高負担」の国として紹介され、関心を集めてきたスウェーデン。その独自性はどのように形づくられてきたのだろうか? 名古屋市立大学の藤田菜々子氏は、世論や政治に強い影響力をもち、それらの発展に積極的に関与したスウェーデンの経済学者たちに注目している。このたび刊行された藤田氏の著書『社会をつくった経済学者たち――スウェーデン・モデルの構想から展開へ』から、あとがきを一部抜粋してお届けする。

〈スウェーデンらしさ〉の基礎を築いた経済学者たちの群像劇

コロナ対策からみえてくるスウェーデンの独自性

新型コロナウイルス感染症問題が続いている。この問題が生じて少し経った頃、スウェーデンは欧米諸国のなかでは珍しく、ロックダウン(都市封鎖)を実施せず、国民の移動を自主的判断に任せるという、緩やかなコロナ対策をとったことが注目された。そもそもスウェーデン憲法で国民の移動の自由は保障されているのだが、今回の方針は主に公衆衛生庁の専門家の意見によって決定されたものであった。対策の持続可能性が重視され、学校が閉鎖されることはなかった。当初、死者を比較的多く出したことで批判も受けたが、施策に対する国民の評価、政府への信頼はおよそ高いまま保たれた。こうした独自方針の貫徹、専門家の参入の仕方、あくまで個人の自由を守ろうとする姿勢に、筆者は改めてスウェーデンらしさをみた気がした。

スウェーデンと日本は、少子化・高齢化対策、働き方、男女平等、財政など、多くの面においてかなり対照的な位置づけにあるが、コロナ対策においては、強制的な行動制限をともなわなかったという共通点があった。しかし、日本の専門家・学者の独立性はスウェーデンのように確保されているだろうか。彼らの意見は政策決定において尊重されてきたのだろうか。また、日本の国民は、施策に満足し、政府に信頼を寄せてきたのだろうか。ここにはやはり相違があるように思われる。

知られざるスウェーデンの経済学者たち

筆者は、こうした独自性あるスウェーデン社会の歴史的形成過程に関心をもってきた。そしてそれを経済学史の視点から考察したのが本書である。筆者のとりわけ最近5年ほどの研究をまとめ、拙著『ミュルダールの経済学』(2010年)刊行後に発表した諸論考の内容を数か所に含めつつ、全体を書き下ろした。

筆者の経済学史研究は、この2010年の著書でミュルダールの学説の全体像を提示した後、彼の議論にかかわる現代福祉国家論・制度経済学・政治思想などを整理・解説した『福祉世界』(2017年)の刊行へと展開したが、その過程を通じて、ミュルダール経済学の特徴がスウェーデン社会、とりわけその福祉国家としての歴史的歩みと深く関連していることへの認識を新たにした。そして同時に、彼を取り巻いていたスウェーデンの経済学史や経済学界について、日本の先行研究が大きく欠落していることにも気づいた。ヴィクセルなど代表的な経済学者各人の理論研究が緻密になされてきた一方、通史的研究、経済学者たちの人物描写や人間関係、スウェーデンの政治や社会との関連性についての研究が不足している。これはイギリス経済学史研究、たとえば同時代のケンブリッジ学派研究の豊かさと比べれば、明白であるように思われた。

当初、筆者はミュルダールと同世代の経済学者たちの関係性に注目し、「ストックホルム学派の群像」という仮題で本書の執筆を始めた。しかし、彼ら「第2世代」は「第1世代」が築いた学問的伝統・基礎の上に立っていたことが次第に分かってきたため、歴史をさかのぼってスウェーデンにおける経済学の起源をたどる方向へと論を拡張した。また他方で、「第2世代」のメンバー、とくにミュルダール、オリーン、ハマーショルドは、第2次世界大戦後もそれぞれのキャリア上の立場からスウェーデン社会とかかわり続けたが、その点にも徐々に意識が向かうようになった。結果として、ストックホルム学派の考察がやはり中心になるが、筆者なりの関心からスウェーデン経済学の通史やスウェーデン社会の歴史の描写に挑戦することに決め、日本においてその開拓的な意義は十分にあるだろうと考えるに至ったのである。

社会をつくった経済学者たちの「危険」な「思想」

『ミュルダールの経済学』と本書には、同じ言葉を盛り込んだ。「君はスウェーデンで最も危険な人物だが、しかし私は君を後継者にもったことを誇りに思っている」(『増補改訂版 経済学説と政治的要素』山田雄三・佐藤隆三訳、春秋社、338頁)。これは1933年に退官を迎えたカッセルが弟子のミュルダールに投げかけた言葉であるが、ここではさらにケインズ『一般理論』のよく知られる末尾の文章を添えたいと思う。

現在、人々はふだんと違っていっそう根本的な診断を待望しており、それを受け入れようとする気持ちはとくに強く、それが少なくとももっともらしいものであれば、それを試みてみることを熱望している。しかし、このような現在の気運は別としても、経済学者や政治哲学者の思想は、それが正しい場合にも間違っている場合にも、一般に考えられているよりもはるかに強力である。事実、世界を支配するものはそれ以外にはないのである。……遅かれ早かれ、良かれ悪しかれ危険なものは、既得権益ではなくて思想である。(『雇用・利子および貨幣の一般理論』塩野谷祐一訳、東洋経済新報社、386頁)

本書の議論全体を通じて筆者の関心の中核にあったのは、経済学者たちの社会的影響力、すなわち2つの引用にいう「危険」な「思想」であった。それは良くも悪くも社会変革の力をもち、とりわけ大戦間期という危機の時代において、個々人の新たな思考様式、ひいては新たな社会の基礎をつくったのであり、スウェーデン・モデルの構築を導いたのである。むろん、その過程の内実は時代的・地域的な特殊性や制約をもつものであり、その成功も永遠ではありえず、本書は過去、そしてその延長にある現在を考察したにすぎない。未来の経済学と社会、学問と政治の関係性は、その望ましいあり方や新たな社会目標の模索も含め、さらに研究が続けられるべき対象であろう。

子どもの頃、NHK放映の『ニルスのふしぎな旅』のアニメを見せてくれたのは両親であったが、それがスウェーデンと私の出会いであったと思う。時の流れを下るのも「ふしぎな旅」である。学生の頃の景色の記憶はまだ手の届きそうなほど近くにあるのに、いまや娘があの頃の私の年齢になった。身近に両親、夫、娘がいる日常生活を送るなかでこそ、私は世代や継承、公共論議という関心を自然にもつことができたのかもしれない。それは本書の主題そのものである。

[書き手]藤田菜々子(名古屋市立大学大学院経済学研究科教授)
社会をつくった経済学者たち―スウェーデン・モデルの構想から展開へ― / 藤田 菜々子
社会をつくった経済学者たち―スウェーデン・モデルの構想から展開へ―
  • 著者:藤田 菜々子
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(448ページ)
  • 発売日:2022-09-15
  • ISBN-10:4815810974
  • ISBN-13:978-4815810979
内容紹介:
不況・戦争など直面する危機を乗り越え、福祉先進国の礎を築いた経済学者たち。ケンブリッジ学派と双璧をなしたスウェーデン経済学の全体像を、彼らの政治・世論との深いかかわりとともに初めて解明、福祉国家への合意を導いた決定的役割と、現代におけるその変容までを鮮やかに描き出す。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
名古屋大学出版会の書評/解説/選評
ページトップへ