自著解説

『参天台五臺山記1』(八木書店出版部)

  • 2023/05/01
参天台五臺山記1 / 森 公章
参天台五臺山記1
  • 著者:森 公章
  • 出版社:八木書店出版部
  • 装丁:単行本(264ページ)
  • 発売日:2023-05-11
  • ISBN-10:4840652155
  • ISBN-13:978-4840652155
内容紹介:
天台僧成尋の渡宋日記、史料纂集にて登場! 平安時代の僧侶が綴る古代中国・日本の社会の実情とは――
天台僧成尋(じょうじん)の渡宋日記、『参天台五臺山記(さんてんだいごだいさんき)』が、重要史料集成「史料纂集(しりょうさんしゅう)」に収録。最古の写本である東福寺本を底本とした初めての全文翻刻/読み下し文(全2冊)となる本書の見どころを、校訂者が解説します。
 

『参天台五臺山記』の記主成尋とは

『参天台五臺山記』(以下、『参記』と略称)は11世紀後半の入宋僧成尋(1013~81)の渡海日記である。成尋の母は安和の変(969年)で左遷された左大臣源高明の孫で、『成尋阿闍梨母集』という国文学作品を残しており、一般的な知名度という点では彼女の方が名高い。父貞叙の事績は不詳だが、こちらも摂関家本流を築く藤原忠平の子師尹の系統で、高貴な家系であることはまちがいない。成尋は天台宗寺門派で(入唐求法僧である智証大師円珍に発する一派で、園城寺〔三井寺〕が本寺)、延暦寺阿闍梨の称号を取得した。京都岩倉の大雲寺の寺主であり、藤原頼通の子で次代の摂関家を担う左大臣師実の護持僧を勤め、後冷泉天皇(在位1045~68)の病気平癒の祈禱にも招かれる高位の僧であった。

このように教学的に完成された僧が中国に渡航する例は稀有であるが、後冷泉天皇の崩御、摂関政治から院政への転換点にあたる後三条天皇の即位(1068年)が契機なのか、成尋は1070年に天台宗の本山である天台山、文殊菩薩が垂迹した五臺山への巡礼のため入宋を申請した。しかし、これは認められず、60歳になった時点で、余命いくばくもなしとあせり、来日宋商人の船を利用する時宜などから、1072年3月に密航という形で乗船・渡海し、弟子たち7人、計8人の一行で中国に足跡を残すことになった。『参記』は乗船した3月15日から翌年6月12日に先行帰国する弟子5人を見送るところまでの470日間を綴った記録である。成尋自身は中国に留まり、ついに帰国することなく、当時の首都開封で客死してしまう。

『参天台五臺山記』の魅力と意義

渡海僧の日記としては、承和度遣唐使の天台請益僧で、唐に「不法滞在」して求法を続けた円仁の『入唐求法巡礼行記』4巻が著名で、第二次世界大戦後にアメリカの駐日大使を務めた知日家の学者E・O・ライシャワー氏は、玄奘(三蔵法師)の『大唐西域記』、マルコ・ポーロの『東方見聞録』と並ぶ世界の三大旅行記と位置づけている。成尋もいわばガイドブックとしてこれを携行し、宋皇帝に捧呈したほどである。ただ、『入唐求法巡礼行記』は在唐中の完全な日々の記録(日次記)ではない。

『参記』は全8巻、分量は『入唐求法巡礼行記』を凌いでおり、連続した日次記である点や当該期の中国の様相が判明することなど、その史料的価値は優るとも劣らない。成尋が皇帝の問いに答えた日本情報も比類のないものである。さらりと記されているが、成尋は杭州で蘇軾(蘇東坡)とも面会している。入国審査の様子や天台山の史跡描写、国清寺での交流、皇帝からの上京・面見許可で京上する際の大運河の旅の様子、冬場の五臺山への往復の辛苦や駅館の壁に記された落書(詩文)の書写、また1073年3月に宮中での祈雨に参加し、見事に3日で降雨となり、面目を施したことなど、興味深い考察材料が存する。活字版の新訳経の将来や成尋の経典参酌の様子も仏教的交流を考える上で興味深い史料である。

『参天台五臺山記』のテキストと読み下し文

『参記』は先行帰国した弟子が大雲寺に奉納している。しかしながら、この成尋自筆本は現存せず、諸写本の中では東福寺所蔵の古写本が最も古いものとされる(8冊、重要文化財)。奥書によれば、承安元年(1171)に成尋の自筆本と校合した写本を底本として、承久2年(1220)に書写されたもので、同本には「普門院」の印記があるので、円爾弁円(聖一国師)の蔵書であったことがわかる。このほか、十数本に上る近世の写本があるが、ほとんどが東福寺本を祖本としている。東福寺本の複製本は1937年に東洋文庫叢刊第七として刊行されており、その翻刻も計画されていたようであるが、遂げられていない。

『参記』の活字本や読み下し・注釈・現代語訳にはいくつかの刊行物があり、いずれも東福寺本と校合した旨が記されているが、東福寺本そのものを底本とした訳ではない。『参記』の本文について、既往の諸活字本には読解の誤謬(文字の読み取りも含めて、誤字・脱字・脱文が存し、語句の切り方・訓点の誤りも多い)があることが指摘されており、注釈・現代語訳には日本史・中国史の知識不足からくる単純な誤りも多く見受けられる。『参記』は日本人が書いた記録であるが、内容は中国での出来事であり、その理解には日本史の知識・日本漢文(変体漢文、和化漢文)の読解力と当該期の中国史の知見の両方が不可欠の要素となり、史料としての取り扱いの難しさがある。文字の面では東福寺本に依拠すると判読・読解可能な場合が多く、今回は未達成の東福寺本の翻刻を試みたので、今後の『参記』研究の基盤として広く参照されることを期待したい。

中国での活動や仏教関係の理解には、藤善眞澄訳注『参天台五臺山記』上・下(関西大学出版部、2007・11年)を大いに参照させていただいた。私は晩年の氏と若干交流があり、その際に「現代語訳はできるが、読み下しは難しい」とおっしゃっていたことが印象に残っている。今回は読み下し文も示して読解の手がかりを呈示した次第である。

[書き手]森 公章(もり きみゆき)
1958年生まれ。東洋大学文学部教授。日本古代史。特に地方支配の歴史的変遷、東アジアの国際関係、木簡学と都城・地方官衙を研究している。

 〔主な著作〕
『長屋王家木簡の基礎的研究』(吉川弘文館、2000年)、『武者から武士へ 兵乱が生んだ新社会集団』(吉川弘文館、2022年)、『遣唐使と古代対外関係の行方 日唐・日宋の交流』(吉川弘文館、2022年)など。
参天台五臺山記1 / 森 公章
参天台五臺山記1
  • 著者:森 公章
  • 出版社:八木書店出版部
  • 装丁:単行本(264ページ)
  • 発売日:2023-05-11
  • ISBN-10:4840652155
  • ISBN-13:978-4840652155
内容紹介:
天台僧成尋の渡宋日記、史料纂集にて登場! 平安時代の僧侶が綴る古代中国・日本の社会の実情とは――

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