困惑させる縄文時代とベストセラー
縄文時代の遺物は思わせぶりなものが多い。それは一度でも考古館や博物館で縄文時代の何かしらの遺物を見たことのある人にはわかるだろう。「これって何かに似ているんじゃないか」、「これはこんな意味があったんじゃないか」。文献がなく、わからないことが多い時代であることと相まって、その造形や出土状況は、僕たちの想像を膨らませ、そして困惑させる。
その想像や困惑がたとえ誤解だったとしても、このこともまた縄文時代の魅力の一つなんだと思っている。
4月28日に発売し、すでに大きな反響をいただいている本書『土偶を読むを読む』は、一昨年のベストセラーであり、サントリー学芸賞をも受賞した『土偶を読む』での「想像」を一つずつ検証し、反論することを第一の目的としている。編者としても、まったく穏やかならぬ本だと思っている。その目的が滞りなく遂行されたか否かの判断は読者に委ねることになるが、こういった論争が泥試合にならないよう、反論の反論を想定しながらその余地がないように検証したつもりだ。
一方で俎上に上げてしまった『土偶を読む』に同情もしている。全国に約9万箇所と言われる縄文時代の遺跡から出土する遺物はとんでもない数にのぼる。それらすべては縄文時代に生きた人々の生活の痕跡だ。僕たち現代人一人ひとりに個性があるように、当時の人たちにだって個性がある。だから当然それらひとつひとつに個性があり、どう使ったのか何をしていたのかわからないものも多い。何かの仮説を立て、それに添うような解釈のできる遺物を探せば、見つかる可能性だってある。本当に困ったものだ。
考古学研究の過去と今を知るために
本書の第二の目的は、そういった思わせぶりな縄文時代に惑わされないために必要なこととして、今までの研究、今の研究、これからの研究を概観できることにある。『土偶を読む』の検証をしながらも、今までの研究やなるべく多くの視点を載せるようにした。また検証の次の章では「土偶とは何か」の研究史を50ページにわたり掲載している。古くは明治時代から、考古学者だけではなくさまざまな立場の人々が、さまざまなアプローチで「土偶とは何か」を探究していたことがわかる。もちろん紹介した研究はすべて参考文献として辿れるようにしてある。興味のある研究があればぜひ個々で深掘りしてみてほしい。インタビューや対談も充実している。考古学ってどんな学問で今どんなことが研究されて、どんな人がいるの?という素朴な疑問から、博物館で実際に土偶を近くで見てきた学芸員の視点や、広く埋蔵文化財に関わる仕事までお話してもらった。将来考古学の勉強をしたいな、と思う方にもぜひ読んでもらいたいなと思っている。
件の本、『土偶を読む』では考古学界を頑迷固陋で権威的で閉じた世界の古い学問のように揶揄しているのだが、そうではないこともわかるはずだ。もちろん考古学界にだって色々な人がいて面倒くさいことも少なくないとは思うけど。
学問と社会の関係を考えるために
本書の第三の目的はさらに広がりのあるテーマを込めている。サントリー学芸賞を受賞した『土偶を読む』。その評価された点はその説の内容よりも「専門知への挑戦」だ。それについても考えてみたい。考古学的には検証もされず、まったくと言っていいほど「間違えている」本が、さまざまな場所で大きく評価され、ひいては学校教育の場にも入り込んでしまいつつある現状も考えてみたい。考古学と人類学の関係史を読めば、実はこのような応答はかねてから何度も繰り返されてきたことがわかる。また、考古学と社会の関係を考察し、実践を通して関係を改善する「パブリック・アーケオロジー」の観点だけでなく、もっと広く「パブリック・ヒューマニティーズ」の観点で専門知と社会の関係について考えられる章を設けた。考古学や土偶に興味がない方や、考古学同様に専門知を持つ別ジャンルの方にも何かの参考になるはずだ。
『土偶を読むを読む』は『土偶を読む』の批判だけの本ではない。実はその重心は別のところにある。悪いけど『土偶を読む』は、思わせぶりな縄文時代を読むための「マクガフィン※」として利用させてもらった。悪いけど。
※マクガフィン=小説・映画といったフィクション作品における仕掛の一つ。作中ではキーアイテムとして扱われるが、それ自体が何であるかは特に重要ではなく代替可能なモノ。
[書き手]望月昭秀 (もちづき・あきひで)
『縄文ZINE』編集長。1972年、静岡県静岡市生まれ。ニルソンデザイン事務所代表。書籍の装丁や雑誌のデザインを主たる業務としながら、出来心で都会の縄文人のためのマガジン『縄文ZINE』を二〇一五年から発行し編集長をつとめる。著書に『縄文人に相談だ』(国書刊行会/文庫版は角川文庫)、『蓑虫放浪』(国書刊行会)、『縄文ZINE(土)』、『土から土器ができるまで/小さな土製品をつくる』(ニルソンデザイン事務所)など。現代の縄文ファン。