間口は広く、奥行きは果てしない。底なし沼のオアシスのような江戸の和本ワールドへようこそ。
江戸時代の文学は色とりどりの世界
本書は日本近世文学会の70周年記念として企画された書籍です。日本の近世とは江戸時代のことですが、江戸時代の文学と聞いて真っ先に思いつくのは何ですか?
『奥の細道(おくのほそみち)』、『好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)』、『曾根崎心中(そねざきしんじゅう)』、『雨月物語(うげつものがたり)』、『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』、『玉勝間』……。
ここにあげたものは文庫本で手に入るものに限りましたが、他にも同じ基準でいえば、江戸漢詩や与謝蕪村(よさぶそん)関連のもの、『東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)』などもあります。なかには教科書に採られている作品もあるでしょう。
いずれにせよ、一般にいわゆる「古典文学」と称される字面(じづら)のイメージからははみ出しているでしょう。また、上にあげた作品の多くは〈俗文学(ぞくぶんがく)〉の範疇に入りますが、漢詩、和歌といった〈雅文学(がぶんがく)〉についても研究上多くの成果があります。とにかく色とりどりの世界なのが日本近世文学の特色です。
江戸時代の文学への入り口はさまざまにあり、おそらく関心をもっている方も多いはずですが、いまという時代において歌舞伎が大好きという人はいても、上記の作品群については、タイトルはなんとなく聞いたことがあるけど読んだことはない、という人が大多数を占めると思います。
文庫本に限らず様々なテキストが入手できますし入門書も出ていますので、近世文学そのものにぜひ触れてほしいと思っています。
和本=和綴じの本を被写体として捉える
ただし、この『和本図譜』ではそう欲張らず、思い切って文学史という軸を外すことにし、あえて別の切り口から江戸時代に迫ることを試みました。その切り口がタイトルにも掲げた「和本」です。簡単にいえば和綴(わと)じの本。これを視座とすることにより多彩な江戸の世界が文字通り一目瞭然となるのです。和本を被写体として捉え、グラフィカルなレイアウトにより構成したのが本書第1部の「ビブリオグラフ和本」。ビブリオグラフとは、〈書籍のグラフ誌(biblio + graph)〉を意味する造語です。見開き2ページごとにテーマを設け和本の写真を配し、さてそのグラフィックのココロは? という具合に解説文を付しました。各テーマを「外ノ巻」「内ノ巻」の別に分類し、それぞれ和本の外側、内側に迫り、見て楽しめ読んで深めることのできるグラフ誌となっています。
こより(紙の紐)で書かれた(!?)文字や書籍をくるんでいた袋といった珍しいものから、当時の人々の生活や趣味といった普通の暮らしの様子まで、和本を通して江戸時代の素顔が透けて見えてくることと思います。
少し個人的なことを書くと、私自身学生時代に出会った、和本をビジュアル的にとりあげた思い出深い本が2つあります。
1つは『蔦屋重三郎の仕事』(平凡社、1995)。別冊太陽の一冊ですが、和本がモノとして美しく撮影されると同時に最新の研究成果が反映され、いまでも大切にしています。もう1つは展示図録である『日本出版文化史展 '96京都』(日本書籍出版協会、1996)。「百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)からマルチメディアへ」という副題が時代を感じさせますが、その展示会場であった京都文化博物館を彩った和本の数々に、当時まるっきり一次資料には接していなかった学部生の私に、モノのもつ迫力、魅力を大いに刻みつけたものでした。
この『和本図譜』も和本との新たな縁をとりもつ一冊となったらうれしく思います。
研究を見せることはどのようにあるべきか
今回の本づくりに際し大きなヒントになったのが、2021年秋に日本近世文学会で開催されたシンポジウム 「〈見せる/魅せる〉近世文学」です。学芸員や司書の方などをお招きし、近世文学をどのようにみせるのかというテーマについて語り合ったのですが、当日の熱気は下記のリンクの記事からたどれます。【https://doi.org/10.20815/kinseibungei.116.0_43】
司会は私が務めたのですが、この時に得たヒントの数々をなんとか形にしたいと思っていたので、本書はまさに時宜にかなった企画となりました。
ところでこのシンポジウムでは、研究を見せることはどのようにあるべきかというもう一つの課題も見えてきました。その答えの一つとなるのが本書第二部の「研究のバックヤード」であるといえるかもしれません。
研究者が他の研究者に特定の論文についてインタビューする、そうすればそこに自ずと研究者のひととなりも浮かび上がるはず。しかも通常のインタビュー記事ではなく、インタビュワーに一から構成をお願いしレポートしてもらう形式とし、決して御説拝聴という形にならないよう、敬意は抱きながらも伺いたいことをズバズバ切り込む企画としました。
この目論見はズバリ的中、インタビューを介して相互の研究者の営みや頭の中を垣間見ることができ、スリリングでありながら研究することの楽しさを十二分に伝え、知的な乾きを潤してくれる内容となっています。
同じ研究者といえども十人十色。この多様性は研究を志す人や研究に関心のある人の背中を今後も押しつづけてくれるのではないでしょうか。
本書はまさにコロナ禍に編集が進められました。学会の中堅~若手のメンバーが中心となって従来にない本づくりを目指し、オンラインミーティングを重ね、頭をひねりつつもやわらかくして楽しみながら編むことを心がけました。そんなワンチームとしての雰囲気も誌面全体から漂っていることと思います。
知のエッセンスを開いていく
最後にリクエストを。今後ぜひとも江戸時代以外の「ビブリオグラフ○○」、古典籍(こてんせき)はもちろん、洋装本(ようそうぼん)や東洋・西洋をはじめ各地域の海外の本に関する図譜も見てみたいし、色々な分野の学会の営みを学会外にも届くかたちで覗いてみたいと心から願います。そうした知のエッセンスを開いていくことこそ、これからの社会に広く嘱望されているはずです。
[書き手]
木越俊介(きごし・しゅんすけ)
1973年、石川県生まれ。2002年、神戸大学大学院博士課程修了。国文学研究資料館研究部教授。専攻は日本近世文学。著書・編著に『知と奇でめぐる近世地誌 : 名所図会と諸国奇談』(平凡社、2023年)、『ひとまずこれにて読み終わり : 木越治遺稿集』(文化資源社、2021年)、『江戸・大坂の出版流通と読本・人情本』(清文堂出版、2013年)など。