入り口はひとつじゃない
図書館にズラリと並ぶ『石牟礼道子全集・不知火』(全17巻・別巻1、藤原書店刊)の前に立ち、陽に焼けた表紙に刻まれた無数の傷に目をやりながら、ときどき考えることがある。刊行が始まった2004年からいまに至るまで、いったいどれだけの人がこの大部な本を手にとったのだろう。どうして読もうと思ったのだろう。どんなふうに読んだのだろう。水俣病や『苦海浄土』を通じて石牟礼道子を知った。そういう人がおそらく大多数を占めるだろうが、なかには『あやとりの記』のような児童文学から石牟礼道子の世界に足を踏み入れたという人もいるかもしれない。島原・天草一揆や西南戦争について調べるうちに、『春の城』や『西南役伝説』にめぐり会ったという人もいるだろう。能や狂言に仲立ちされて、新作能『不知火』や『沖宮』、新作狂言『なごりが原』を観劇した人、食や料理への関心から『食べごしらえ おままごと』をひらいた人、短歌や俳句や詩に惹かれて石牟礼の言葉に親しむようになった、という人もいるにちがいない。もちろん、誰かに勧められたから、何となく気になって、という人も少なくないだろう。
石牟礼道子と〈古典〉
石牟礼道子の文学には、日本の古典文学からの影響や、それとの親近性が認められる。石牟礼にかんする文章を読んでいると、このような指摘に出くわすことが多々ある。とくによく言われるのは、能、浄瑠璃、説経節との関連性について。ただ、具体的にどのような影響関係があるのか、どういうところが近しいのか、その詳細にまで踏み込んで論じられることはあまりなく、古典についても、能にも浄瑠璃にも説経節にも疎い私は、もっと深く知りたいのにと思いながら、どこからどう手をつけてよいのやら皆目見当もつかないまま、ただ歯痒さを感じるだけ。そんな話を、のちに本書の共編者となる野田研一氏、後藤隆基氏としていたのが2017年の秋の暮れ。おもしろそうだからやってみよう、とトントン拍子に話は進み、翌年2月に、日本の古典文学を専攻する研究者をコメンテーターと発表者に迎えたシンポジウム「石牟礼道子を読み直す――日本古典文学との「対話」――」を開催する運びとなった(立教大学ESD研究所主催)。
驚きの連続だった。古典文学に通暁する研究者の目に映る石牟礼道子の世界は、私が見ていたそれとはまったく異なるものだった。〈これ〉は〈あれ〉に出てきます、〈これ〉の源流はおそらく〈ここ〉です、と典拠が示されるたびに「なるほど」と唸り、私がそれまで「なんとなく古典ぽいかも」と感じていた箇所はもとより、それ以外にも多くの古典のテクストやイメージが石牟礼文学に流れ込んでいることを教えられた。古典の受容と変奏の実態やその意味を探るだけにとどまらず、昭和2(1927)年生まれの彼女を育んだ水俣の自然や文化や言語環境などにも議論はおよび、石牟礼道子と古典との関係が、研究の可能性が、これまでになくはっきりと見えてきた。
学問の声、表現の声
このシンポジウムの成果を発展させたのが、『石牟礼道子と〈古典〉の水脈――他者の声が響く』である。本書には、日本古典文学研究者だけでなく、民俗学、歴史学、演劇学、環境文学を専門とする研究者の論稿も収録し、より学際的に石牟礼道子の思想と文学に迫ることを試みた。本書のもう一つの特色は、表現の世界(詩、音楽、能楽、染織、演劇)に生きる人びとが、石牟礼道子という稀有な詩人・作家の声をいかに受けとめてきたかを浮き彫りにしようとした点にある。論文とは異なるスタイルで紡ぎ出された、きらめくような言葉の数々。石牟礼道子に興味はあるけれど、作品を読んだことはないという人や、学術論文は少しハードルが高いかもという人は、第2部所収のエッセイ、インタビュー、新作能『不知火』の初演時の演出ノートから読んでいただくのもいいかもしれない。
声と文字、芸能、引用、語り、うた、記録、記憶、自然と人間の交感など、本書では、古典の受容と変奏だけでなく、石牟礼文学から浮かびあがってくる多彩なテーマが俎上に載せられている。学究の徒と表現に生きる人びとの多様な言葉が響きあう本書が、石牟礼道子研究の一助となると同時に、こうした根源的な問題を考える足がかりともなれば幸いである。
石牟礼道子にとって〈古典〉とは何だったのか
未だによくわからない。だが一つだけ確信をもって言えるのは、さまざまなジャンルの古典を受容することなしに、あの独特な文学世界は生まれなかったということ。人から人へ、口伝えで、あるいは文字で、脈々と受け継がれてきた無数の言葉、他者の言葉を血肉とし、彼女は彼女にしか紡ぐことのできない言葉を、渾身の力をふるって書き続けた。そんな石牟礼道子の言葉はもう増えることはないけれど、それが誰かの言葉や思想や表現の源泉となるたびに、かたちを変えて生き続ける。石牟礼が、幾多の先人たちが、古典に新たな命を吹きこんできたように。ずっとずっとつながっていく。
[書き手]山田 悠介 (やまだ・ゆうすけ)
1984年大阪府生まれ。大東文化大学文学部日本文学科講師。専門は環境文学。著書に『反復のレトリック―梨木香歩と石牟礼道子と』(水声社、2018)、論文に「「声音」を読む―石牟礼道子『水はみどろの宮』とその周辺」(『石牟礼道子を読む2―世界と文学を問う』東京大学東アジア藝文書院、2022)など。