自著解説

『故事成語教材考』(文学通信)

  • 2023/09/01
故事成語教材考 / 樋口 敦士
故事成語教材考
  • 著者:樋口 敦士
  • 出版社:文学通信
  • 装丁:単行本(344ページ)
  • 発売日:2023-08-29
  • ISBN-10:4867660159
  • ISBN-13:978-4867660157
内容紹介:
先人たちは「故事成語」とどう向き合い、どう使用してきたか。国語教育的観点から、漢文教材の魅力を伝える。「矛盾」「臥薪嘗胆」「狐借虎威」「塞翁馬」等、江戸時代の諸書を通して成立の時… もっと読む
先人たちは「故事成語」とどう向き合い、どう使用してきたか。国語教育的観点から、漢文教材の魅力を伝える。
「矛盾」「臥薪嘗胆」「狐借虎威」「塞翁馬」等、江戸時代の諸書を通して成立の時代背景を詳しく解説し和漢の用例を多く取り上げ、日本語としての実態に重点を置き解説していくことで、「故事成語」の教材観を深く掘り下げる。教えるヒントになるコラム多数収録。
国語教育関係者のみならず、故事成語に関心のある方にもお読みいただける本です。

【本書は「故事成語」の定番教材の考察を主題に掲げているが、成立における時代背景や和漢の用例を取りあげているため、国語教育の関係者のみならず、故事成語関連の一般書籍としてもお読みいただくことも可能である。先人たちが「故事成語」とどのように向き合い、どのように使用してきたのか、読者諸賢にその一端だけでもお伝えすることができれば幸甚の至りである。本書が「故事成語」を取り扱ううえでの一助となることを願ってやまない。】…序章より
学校で誰しもが学習する「矛盾」「完璧」「塞翁が馬」などの故事成語。これらは中国の歴史故事を背景として生まれ、その一部は日本で独自の変容を遂げることになった。テレビドラマや漫画はもちろん、現代まで広く使われている故事成語には、教材としていったいどのような可能性が秘められているのか。高等学校の現役の国語教員であり、漢文教育の研究者である樋口敦士氏によるエッセイです。ぜひご一読ください。

「故事成語」は中国語?日本語?

わたしたちは普段から日常会話の中で「故事成語(こじせいご)」を頻繁に使用している。「矛盾(むじゅん)」・「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」・「五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)」・「鶏口牛後(けいこうぎゅうご)」などといった数々の言葉は、国語教育における漢文の入門教材として採録されているが、改めて言うまでもなくこれらの「故事成語」は中国の歴史故事を背景にして誕生したものである。この意味では“中国語”であることに疑う余地はない。

ただ、中国の前漢の時代に編纂された『戦国策』に由来する「狐借虎威(狐、虎の威を借る)」を取りあげて考察してみると、わが国での受容の実態を垣間見ることができる。狡猾な「狐」が強大な「虎」の権威を借りて強く見せかけるという構図は誰しもイメージしやすく、現代にいたるまで諸書において多くの引用例がみられる。

中国では現代まで「狐假虎威」が使い続けられてきたのに対して、日本では平安時代にすでに当該成語の用例「狐借(藉)虎威」などが使われて定着するも、江戸時代に入ると「虎の威を借る狐」と変容された形で人々のあいだで広まった。つまり、「故事成語」が“日本語”として新たに誕生した事実を忘れてはならない。

近代日本において「宇宙」・「真理」・「哲学」など中国由来の漢字を用いて西洋思想の抽象的概念を表すために、福沢諭吉や西周(にしあまね)といった知識人によって数多くの「日本漢語」が作られたことについてはしばしば言及されるが、わが国で独自の発展を遂げた「故事成語」も「和製言語」である点ではこれと通底しているものと言えるだろう。授業の現場ではとかく語源(意味と由来)の解説に焦点が当てられる「故事成語」であるが、日本語として受容・変容・流行の側面にも注目すべきことと思われる。

現代まで愛される「故事成語」

故事成語「燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志(こころざし)を知らんや」-高校時代の筆者がもっとも強烈な印象を受けたパワーワードである。これは秦末期に起こった史上初の農民蜂起と言われる「陳勝呉広(ちんしょうごこう)の乱」により一時的には王位に就くことになる陳勝若き日のエピソードの中に登場する。雇われ農民に過ぎない陳勝が雇い主(あるいは小作仲間とも)に将来自身が富貴になった際の処遇を話題にしたところ、まったく相手にされなかったことに対して、陳勝は「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と嘆じながら、血統という既成概念から脱せない相手の器量の小ささを批判する。言葉どおり陳勝は王位に就任するが、まもなく秦の攻勢により滅ぼされる。

陳勝は果たしてどのような気持ちでこの言葉を口にしたのだろうと想像を巡らせながら、若かりし筆者自身が歴史上の名将の気持ちに迫ろうとしたことを懐かしく思い出す。筆者は「団塊Jr」に属する世代に生まれ合わせたため、受験戦争が熾烈を極めた90年代に受験期を迎えた。大学受験において難関校を志望した際に、周囲からその無謀さを指摘されることもしばしばあったが、そのときにこそ「燕雀安んぞ」を日常的に用いることで自身を鼓舞していたものである。

こうした読み手にも聞き手にも強い印象を残すパワーワードは、わが国の「世話」や「俚諺(りげん)」(「犬も歩けば棒に当たる」・「論より証拠」・「花より団子」)の類などよりも「故事成語」に多く含まれているものと思われる。以上の点からも先人たちの名言はわたしたち文化的な遺産となっていることは明らかである。

ちなみに「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」というフレーズは、例えば大河ドラマ『独眼竜政宗』において、関白秀吉に降伏するかどうか家臣に迫られたときの伊達政宗の台詞に引かれたり、漫画『ろくでなしBLUES』では、ボクサーとして将来を嘱望される先輩畑中優太郎に対して鬱々とした気持ちでスパーリングに臨む主人公前田太尊の心情を描く場面の見出しに取られたりしているが、当該成語がそれぞれの作品のスパイスとしての機能を果たしてきた状況がうかがえる。日常会話の中で「故事成語」を用いることは、二千年前の英雄との一体化を果たし、歴史ロマンに浸ることを可能にする。

漢文に親しむための「故事成語」

高校の国語教師という職に就いてすでに20年以上経つが、生徒にとって古典教材は必ずしも歓迎されるものではないことを痛切に感じている。学習者からの「何のために古典を学ぶのか」という真摯なまなざしには誠実に向き合うようにつとめ続けた。彼らにとっての古典科目はあくまでも大学入試までの暫定的なつきあいに過ぎない。高校生にとって英語・数学が(指導者が必要性を説かずとも学習者自身が学習意義を感じる)いわゆる「ホーム」科目であるならば、古典は疑いなく「アウェー」科目に該当するだろう。

生徒にとって「アウェー」科目であるからこそ、安易に学習者に迎合するのではなく、「ホーム」科目以上に核心に迫った授業が求められるのではないか、それでこそ生涯学習への道も拓かれるのではないかとの考えに至った。結果的に古典学習の効果的な指導方法とは何かが筆者にとって重要な課題となり、多くの実践に取り組んできた。

漢文教育研究に専念するうちに漢文は中国由来の古典作品であることを理由に疎んじられてきた状況が浮き彫りとなったが、その教育的意義は内容面からも文体面からも古文教材と同等以上に生徒に資する部分が大きいものと実感する。わたしたちが幼少期から慣れ親しんできた「故事成語」を授業でいかに効果的な指導ができるか。この観点が生徒の古典学習の意識を大きく左右するものと思われる。本書で取り扱う「故事成語」の論考を通じて読者諸賢がさまざまな知見を得られることを切望する。


[書き手]
樋口敦士(ひぐち・あつし)
1973年千葉県出身。狭山ヶ丘高等学校教諭。専門は漢文教育。早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得済退学。学生時代は近世(江戸)文学を専攻していたが、教職に就いてからは国語教育に照らした漢文教育の研究につとめる。これまで多くの教材や問題集の執筆にも携わる一方で、勤務校では有志の生徒に漢詩創作指導にも取り組む。伊藤園おーいお茶新俳句大賞ユニーク賞や諸橋轍次博士記念全国漢詩大会秀作賞受賞。共著には『あらすじで読む日本の古典』(中経出版・新人物往来社)、『古典「漢文」の教材研究』(学文社)などがある。
故事成語教材考 / 樋口 敦士
故事成語教材考
  • 著者:樋口 敦士
  • 出版社:文学通信
  • 装丁:単行本(344ページ)
  • 発売日:2023-08-29
  • ISBN-10:4867660159
  • ISBN-13:978-4867660157
内容紹介:
先人たちは「故事成語」とどう向き合い、どう使用してきたか。国語教育的観点から、漢文教材の魅力を伝える。「矛盾」「臥薪嘗胆」「狐借虎威」「塞翁馬」等、江戸時代の諸書を通して成立の時… もっと読む
先人たちは「故事成語」とどう向き合い、どう使用してきたか。国語教育的観点から、漢文教材の魅力を伝える。
「矛盾」「臥薪嘗胆」「狐借虎威」「塞翁馬」等、江戸時代の諸書を通して成立の時代背景を詳しく解説し和漢の用例を多く取り上げ、日本語としての実態に重点を置き解説していくことで、「故事成語」の教材観を深く掘り下げる。教えるヒントになるコラム多数収録。
国語教育関係者のみならず、故事成語に関心のある方にもお読みいただける本です。

【本書は「故事成語」の定番教材の考察を主題に掲げているが、成立における時代背景や和漢の用例を取りあげているため、国語教育の関係者のみならず、故事成語関連の一般書籍としてもお読みいただくことも可能である。先人たちが「故事成語」とどのように向き合い、どのように使用してきたのか、読者諸賢にその一端だけでもお伝えすることができれば幸甚の至りである。本書が「故事成語」を取り扱ううえでの一助となることを願ってやまない。】…序章より

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ALL REVIEWS 2023年9月1日

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