本文抜粋

『ホラー小説大全 完全版』(青土社)

  • 2023/07/26
ホラー小説大全 完全版 / 風間賢二
ホラー小説大全 完全版
  • 著者:風間賢二
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(720ページ)
  • 発売日:2023-07-26
  • ISBN-10:4791775716
  • ISBN-13:978-4791775712
内容紹介:
読者を怖がらせることにほとんどの力点がおかれている“ホラー小説”。その起源はどこにあるのか。いかにして発展してきたのか
翻訳家であり幻想文学研究家である風間賢二さんが縦横無尽に描き出す圧巻のホラー・ガイド『ホラー小説大全』。文法、ジャンル、起源、系譜、作家……、ホラー小説を読み解くために欠かせない名著を、大幅増補し「完全版」として待望の復刊!
この夏、ホラーを読み解く補助線としてお楽しみください。本書の刊行を記念して「まえがき」を特別公開いたします。

私たちは、ホラー小説の何が怖いのか

我が国では二種類もの全集が翻訳刊行されているのに、一般の読書人はもちろんのこと、英米文学の愛読者にさえあまり知られていないアメリカのホラー作家がいる。

今、〝我が国では〞と述べたが、その名は本国でさえ、特殊な読者―SFや怪奇幻想小説マニアの間でしか流通していないと言ったほうがいいかも知れない。

実際の話、二〇世紀前半に活躍したそのホラー作家が一生を過ごしたロードアイランド州プロヴィデンスにまで足を運んだことがあるが、なんと生家はもはや跡形もなく、かわりにスターバックスの店舗が鎮座していて拍子抜けした。さぞや趣のある文学記念館になっているとてっきり思っていたからだ。

それでも熱狂的なファンの間では、二〇世紀のエドガー・アラン・ポーとまで讃えられ、死後一〇〇年近くを経ても根強い人気を博していることは、小説は言うまでもなく、映画、コミックス、アニメ、ゲームなど他のメディアにおいても多大な影響が見られることからも明白だ。

ことにかれの創造した〈クトゥルー神話〉の名称は、今世紀に入ってようやくわが国でも若い人たちのあいだで口の端にのぼるようになった。惜しむらくは小説を通じてその神話体系に接したというより、主としてボードゲーム、およびそれに関する副読本、ガイドブックの類のおかげのようだが。

ともあれダイハードなファンのあいだでは超絶カルトな熱量を保ち続け、サブカル方面では〈クトゥルー神話〉でかろうじて知られているかも知れない、その作家の名はハワード・フィリップス・ラヴクラフトという。

二〇世紀のホラー小説史に大きな足跡を残したラヴクラフトについては本書で触れているので詳細を省くが、ここでは恐怖に関するかれの有名な言葉を紹介しておきたい。すなわち――

「最も起源が古く最も強烈な感情とは、恐怖である。そして最も起源が古く最も強烈な恐怖とは、未知なるものに対する恐怖である」(『文学における超自然の恐怖』)

まさにそのとおり。恐怖という感情が弱ければ、自己防衛本能も十全に機能せず、人類はとうの昔に容易に滅亡していただろう。したがって、この世に人類が誕生したときから、この感情は備わっていたのにちがいない。

自然の神秘や脅威を説明するために神話が創作されたように、恐怖に関する物語とは、未知なるものを言葉で語りたおし、同時にそれをお話として聞かせることによって、一種の悪魔払いや昇華作用、危機管理、そして死のリハーサルの役目を果たしているように思える。

何かに対して恐怖を抱くのは動物と人間だけである。しかし、動物は脅威が目前に迫っているときにしか恐怖を覚えない。ところが、人間は実際に脅威にさらされていなくとも、つまり、必要がなくても恐怖を抱くことができる。人間は、とりあえず己が身の安全が保証されているのであれば、いくらでも、〝今、そこにない恐怖〞を愉しむことさえできる奇妙な動物である。

恐怖を精神的な悪魔払いとして物語に昇華して、それを愉しむという人間の行為の起源をいつと特定することはできない。おそらく、それは人類が言語を用いるようになり、夜の闇の帳から逃れて、洞窟で火を囲みながら物語を仲間に語るようになった太古の時代にまで遡ることができるだろう。

だがしかし、恐怖の物語が文芸の発生と同時に存在していたことだけは、確かな事実として残っている。たとえば、メソポタミアの世界最古の叙事詩『ギルガメッシュ』には、怪物退治や冥界への旅が謳われており、ギリシア時代の大詩人ホメロスの『オデュッセイア』には、主人公が様々な恐るべき化け物や妖怪と出会う冒険の旅が語られている。あるいは、ローマ時代には、ペトロニウスが『サテリコン』の中で人狼伝説を披露しているかと思えば、小プリニウスは『書簡集』で幽霊屋敷の話を綴っている。もちろん、ギリシア・ローマ文学だけでなく、聖書の中の「黙示録」は人々に恐怖を喚起させる物語であるし、エジプトには死後の世界と魂について記した『死者の書』がある。

その後も、忌まわしい怪物退治の物語『ベーオウルフ』からチョーサーの『カンタベリー物語』の中のいくつかの逸話、マロリーの『アーサー王の死』の中でもガーウェイン卿の物語、ダンテの『神曲地獄篇』、マーローの『フォースタス博士』や数々のエリザベス朝残酷劇とシェイクスピアの『マクベス』と『ハムレット』、そしてミルトンの『失楽園』といったぐあいに怪物や悪魔、魔女、幽霊などが登場し、読む者を戦慄させる物語は途切れることなく創作されてきた。

だからといって、今あげた作品のすべてがホラー小説だと言うつもりは毛頭ない。そもそもホラーの要素は、どのような種類の物語にも含まれている。それこそメルヘンからラヴ・ロマンスまで、なにもホラー小説でなくとも読者に戦慄を抱かせる場面はいくらでもある。恐怖を喚起させるのに怪物や幽霊といった超自然的存在を持ち出すまでもなく、日常的な暴力や死、狂気や悪夢を語ればよいのだから。

となると、純然たるホラー小説とは、恐怖の感情を読者に抱かせることをもっぱら目的とした小説の謂でなくてはならない。つまり、ホラー小説とは、いかにして読者を怖がらせるかに腐心するばかりで、真理や美や善を追求したり、人としての道徳を説いたり、高邁な文学的思想や個人的な人生観を披露することなどにはいっさい関心を払わず、読者が戦慄する効果のみを狙った、いわば潔い小説でなければならない。スティーヴン・キングは、「あなたはどうしてホラー小説を書くのですか?」と聞かれて、「読者をこわがらせたいから」と単純明快な答えを返しているが、至言である。

そうした〝効果の小説〞としてのホラーがひとつのジャンルを築くことになるのは、一八世紀英国で誕生したゴシック・ロマンスによってである。一八世紀の英国といえば、小説という文芸形式が開拓され発展した時代だった。実際のところ、ゴシック・ロマンスの鼻祖『オトラントの城』が創作されるまでに、小説の様々なスタイルは、ほとんどこの時期に出つくした感さえある。

具体的には、一七一九年のデフォー『ロビンソン・クルーソー』に始まって、スウィフト『ガリバー旅行記』(1726)やリチャードソン『パミラ』(1740)、フィールディング『トム・ジョーンズ』(1749)などを経て、一七六〇年のロレンス・スターンの実験的な問題作『トリストラム・シャンディ』にいたる期間のことである。

ポストモダン小説=メタフィクションの親玉のような『トリストラム・シャンディ』の四年後にホラー小説の原点とも言える『オトラントの城』が登場したことは決して偶然ではない。小説の可能性がひととおり探索されたのちになって初めて、つまり、読者の想像力と情念に訴える、より大きな〝効果〞を産出するための語りの仕掛けがあらかた開発されて初めて、文芸ホラーというジャンルが誕生したのである。

もちろん、その背後には、それまでのようにひとりの吟唱詩人が広間で複数の人間に朗読するロマンスから、ひとり私室で物語を黙読するといった小説形式そのものの特性があることは言うまでもない。

本書の第一部では、ホラー小説の母体となった一八世紀のゴシック・ロマンスから二一世紀前半のモダンホラーまでを概観し、このジャンルの特性を考察している。といっても、基本的に本書は欧米ホラー小説入門書・啓蒙書であり、「ホラー小説とはなんぞや?」とか「ホラー小説の美学」を肩肘張って論じる類のものではない。

ただし、我が国では不思議なことに、これまでこのジャンルに関するまとまった書物が一冊もないこと、および本書を単なる、あれもあるこれもある的ガイドブック(その手のカタログ的案内書なら、すでに何点かある)にはしたくないというこちらの思惑もあって、ホラー小説初心者から上級者まで楽しめるように硬軟取りまぜた内容になっている。

欧米の二五〇年にわたるホラー小説の流れを見たあと、このジャンルから生み出され、現代のポップ・カルチャー・イコンにまでなっている三大モンスター―フランケンシュタインの怪物、吸血鬼ドラキュラ、そして狼男(分身)について論じているのが第二部である。近代が産出した三大モンスターをクローズアップしたのは、モダンホラーのほとんどの作品がこの三種の怪物神話を礎としたヴァリエーションにすぎないからである。また、今回の〈完全版〉では、今日の新たなモンスター神話になった感のあるゾンビについても触れている。

第五部は、本書がホラー小説についてのこむつかしい研究書や評論ではなく、そのジャンルの性格と作品の面白さを解説した気軽な入門書、あるいは探索マップであることを前面に押し出したブックガイドに終始した。

したがって、本書はどのパートから読み始めても一向にかまわない。スティーヴン・キングやディーン・R・クーンツ、あるいはロバート・R・マキャモンの作品を読んでモダンホラーに興味を持ったが、さて他にどんな作品を手に取ったらよいのか途方にくれている読者は第五部のブックガイドが役立つことと思う。

あるいは、ホラー小説の成立過程と現在にいたるまでの発展・変化を知りたい向きは、第一部の小史から読み進めるがいいだろうし、近代が生み出した三大モンスターホラー小説の集合的無意識ともいうべきテーマに関心がある人は第二部を真先に開けばいい。

また、スティーヴン・キング似降のモダンホラーの作家・作品に特に関心のある向きは、第三部を、コンテンポラリーなホラーの特色を知りたい読者は第四部から目をとおしてもらって一向にかまわない。

最後に、著者のホラー小説に対する姿勢を述べておく。ホラー小説は、読者を戦慄させることを旨とした〝効果の小説〞である。このことは、すでに述べた。では、いかにして読み手の恐怖の感情を刺激するか? 換言すれば、いかに狙った効果を最大限に発揮することができるかだが、それは〝語り=騙りのテクノロジー〞の問題である。私見では、良質なホラー小説はみな、この〝語り=騙り〞に策を弄した、きわめてナルシシスティックな物語構造を有している。

小説の語りのテクノロジーがあらかた出つくしたのちに登場した一八世紀ゴシック・ロマンス、雑誌の隆盛によって短編というスタイルが発展し、同時にその技巧が精緻をきわめていく時期の一九世紀英国ゴースト・ストーリー、そして一九七三年にピンチョンの『重力の虹』が発表され、長大なポストモダン小説=メタフィクションが流行するが、モダンホラーが脚光を浴び始めるのは、それ以降のことである。といったぐあいに、ホラー小説は小説のナラティヴ・テクノロジーの進展とけっして無縁ではない。

では、最良のホラー小説のナラティヴ・テクノロジーとはどのようなものなのか?本書では、そうした問いかけにも、ある程度は答えているつもりである。


〔書き手〕風間賢二(かざま・けんじ)
ホラー小説大全 完全版 / 風間賢二
ホラー小説大全 完全版
  • 著者:風間賢二
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(720ページ)
  • 発売日:2023-07-26
  • ISBN-10:4791775716
  • ISBN-13:978-4791775712
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読者を怖がらせることにほとんどの力点がおかれている“ホラー小説”。その起源はどこにあるのか。いかにして発展してきたのか

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