巧妙な人心操作のメカニズム
「ナラティブ」というのは「物語」とか「語り」という意味の英語だそうだ。辞書を引くと、隣に「ナレーション」がある。ナラティブになじみはないが、ナレーションなら知っている。このナラティブが時と場合によってとてつもない力を発揮する、というノンフィクション。ただし、その力は良いほうにも悪いほうにも働く。
著者は毎日新聞の記者。というか、この本の一部はときどき本紙にも掲載されていて、書籍はそのフルバージョンだ。
ナラティブが力を持つ実例はぼくたちの身のまわりにいくらでもある。たとえば歴史の学習まんが。年号と固有名詞だけ暗記しようとしてもなかなか覚えられないのに、起承転結のある物語として捉えると忘れない。
本書のはじめのほうで解剖学者の養老孟司は「ナラティブっていうのは、我々の脳が持っているほとんど唯一の形式じゃないかと思うんですね」と語っている。ぼくたちはナラティブに囲まれて生きている。
効くナラティブとあまり効かないナラティブがある。脳神経科学などの研究者に取材した部分が興味深い。人がぼんやりしているときでも活動している脳の部分(ネットワーク)があり、ナラティブがそのツボにうまくはまると、人は動かされる。論理的に説得するよりも、情に訴えるほうが効果的だとよくいうけれども、こういうことなのかもしれない。
ナラティブが人を動かす。たとえば、不遇だと感じている人に、「君は被害者なんだよ。君をおとしいれて笑っているヤツがいるぞ」と物語れば、それがグッと心に刺さる。その人は社会に復讐しようとするかもしれない。
どうして多くのアメリカ人がトランプを熱狂的に支持するのか、ぼくはさっぱり理解できない。だがナラティブの力が働いていると考えれば納得できる。プーチンを支持するロシア人も、そして100年前の関東大震災で朝鮮人や中国人を虐殺した日本人も、みんなナラティブに動かされた。逆に、ナラティブが過酷な状況を生きる支えとなることもある。
インターネットが普及し、SNSの利用者が増えると、ナラティブは国家や企業によって戦略的に用いられるようになる。SNSを分析してターゲットを絞り、ウソや誇張も含めてナラティブを吹き込む。小さな焚火から山火事を起こすように、世の中を動かすことができてしまう。イギリスのEU離脱でもアメリカ大統領選でも、ナラティブが結果を左右した。
表紙には木の下で寝そべる人の絵。人は下の方の枝の果実に手を伸ばしている。もぎ取りやすい果実=簡単に手に入る獲物を得ようとする人。ナラティブに影響されやすい人のイメージだ。「神経症的、あるいは被害者意識が強いとか自己陶酔的な傾向があり、なおかつSNSでの活動が活発な人々」が標的になりやすいと、情報操作に詳しい人物が語っている。
AIの発達などで、人心操作は今後ますます巧妙になるだろう。ターゲットにされないためにはどうすればいいか。最終章には「書く」「読む」「聞く」「話す」が出てくる。ぼーっとSNS見てたんじゃ危ない。