法の外に生きる人々への共感
股旅ものの名称は長谷川伸が昭和四年三月号の「改造」に発表した「股旅草鞋(わらじ)」からだといわれている。旅がらすの渡世人を描いた作品をさすが、長谷川伸はけっして遊侠の徒の義理と人情を賛美したわけではなく、むしろ法の外に生きる人々にたいして庶民的共感をもって迫ったところに特質があった。「股旅者も、武士も、町人も、姿は違え、同じ血の打っている人間であることに変りはない」という言葉が、それを端的に物語る。長谷川伸の股旅ものは、小説より戯曲が多い。「沓掛時次郎」「瞼の母」「一本刀土俵入」などの諸作はよく知られ、歌舞伎、新国劇などでもくり返し上演されてきた。「俺あ、こう上下の瞼を合せ、じいッと考えてりゃあ、逢わねえ昔のおッかさんの俤が出てくるんだ――」(瞼の母)や、「ああお蔦さん、棒っ切れを振り廻してする茂兵衛の、これが、十年前に、櫛、簪、巾着ぐるみ、意見を貰った姐さんに、せめて、見て貰う駒形の、しがねえ姿の、横綱の土俵入りでござんす」(一本刀土俵入)などの名セリフを思い出す人も少なくないに違いない。
しかしなぜか、これらの名戯曲は文庫に収録されなかった。戦前は各種の文庫で読めたのに、文庫ブームの今日いささか片手落ちの感があったが、今回それら三作に「雪の渡り鳥」「暗闇の丑松」を加えて、戦後はじめて文庫化された。内容はあらためて紹介するまでもないが、沓掛時次郎、番場の忠太郎、鯉名の銀平、駒形茂兵衛、暗闇の丑松などのキャラクターは、長谷川伸の戯曲とともに、すでに一個の独立した大衆のアイドルとなっている。長谷川伸の戯曲は百六十七篇伝えられ、そのすべてが上演されているが、たのまれて書いたものはないという。その点でも内発的な主題がうかがわれる。