書評

『普通という異常 健常発達という病』(講談社)

  • 2023/11/26
普通という異常 健常発達という病 / 兼本 浩祐
普通という異常 健常発達という病
  • 著者:兼本 浩祐
  • 出版社:講談社
  • 装丁:新書(240ページ)
  • 発売日:2023-01-19
  • ISBN-10:4065305381
  • ISBN-13:978-4065305386
内容紹介:
ADHDやASDを病いと呼ぶのなら、「普通」も同じように病いだーー「色、金、名誉」にこだわり、周囲の承認に疲れてしまった人たち。「いいね」によって、一つの「私」に束ねられる現代、極端… もっと読む
ADHDやASDを病いと呼ぶのなら、「普通」も同じように病いだーー

「色、金、名誉」にこだわり、周囲の承認に疲れてしまった人たち。
「いいね」によって、一つの「私」に束ねられる現代、極端な「普通」がもたらす「しんどさ」から抜け出すためのヒント

●「自分がどうしたいか」よりも「他人がどう見ているか気になって仕方がない」
●「いじわるコミュニケーション」という承認欲求
●流行へのとらわれ
●対人希求性が過多になる「しんどさ」
●本音と建て前のやり取り
●社会のスタンダードから外れていないか不安
●ドーパミン移行過剰症としての健常発達
●親の「いいね」という魔法

「病」が、ある特性について、自分ないしは身近な他人が苦しむことを前提とした場合、ADHDやASDが病い的になることがあるのは間違いないでしょう。一方で、定型発達の特性を持つ人も負けず劣らず病い的になることがあるのではないか、この本で取り扱いたいのは、こういう疑問です。たとえば定型発達の特性が過剰な人が、「相手が自分をどうみているのかが気になって仕方がない」「自分は普通ではなくなったのではないか」という不安から矢も楯もたまらなくなってしまう場合、そうした定型発達の人の特性も病といってもいいのではないか、ということです。――「はじめに」より

本来の自分奪う「他人のまなざし」

著者はてんかんと精神病理学を専門とする精神科医で、自身をADHD(注意欠如・多動症)と診断する立場から『発達障害の内側から見た世界 名指すことと分かること』(講談社選書メチエ)という著書もある。発達障害に病理としての本質があるという立場を取らず、むしろニューロダイバーシティーという多様性の視点から、発達障害の位置付けも相対化していこうと目論んでいるようだ。著者は本書で、他人の「いいね」に縛られるような「健常者」、いわゆる定型発達者も「ニューロティピカル」という病理を持つのではないかと主張する。これが本書のタイトルにもある「健常発達という病」である。

対比されるのは、二人の女の子、AちゃんとBちゃんだ。怪獣や昆虫に夢中で、他人からの評価はおよそ眼中にないAちゃんと、他人の「いいね」に敏感なBちゃん。二人はランドセルの色がかぶってしまい、それが気に入らないBちゃんは取り巻きと一緒になってAちゃんに「いじわるコミュニケーション」(「いじコミ」)をしかける。しかし人間関係に無関心なAちゃんは「いじコミ」に思ったほど反応しない。おわかりのとおり、Aちゃんにはどうやら発達障害傾向がありそうだ。ただ一点、野暮な指摘をしておけば、現代のSNS上で「いいね」を集めるのはBちゃんよりもAちゃんだろうと評者は考える。

本書の後半は一気呵成(いっきかせい)に、人間の本質に迫る哲学的議論になっていく。思想、哲学にも通じた精神病理学者の面目躍如たるところで、非常に興味深い議論が展開していく。

著者はサルトルを援用しつつ、人間存在のありようを、机や椅子のような存在と本質が一致している「即自」存在とは異なり、自分の存在に意識を向けるような「対自」的なものとみなす。「即自」と「対自」の違いは「無」、すなわち余白や隙間を含むかどうかだ。無=隙間というのは、この自分と「本来の自分」との間の隙間を意味する。サルトルによれば、そこの隙間を奪うのが「他者のまなざし」なのである。

著者は子ども時代きゅうりが嫌いで、無理に食べさせられても吐き出していた。他者のまなざしを意に介さず、「嫌い」を全身で表出できた。このときの著者は、先述の「隙間」が小さく、身体的な反応と自分自身がほぼ一致していた。この感覚は「デカルト的コギタチオ」と呼ばれる。しかし大人になると、「嫌いなのに好きなフリをする」といった場面が増えてきて、その「隙間」が開いてくる。たとえば「Aちゃん」(発達障害)では隙間が小さく、「Bちゃん」(健常発達)は隙間が大きい。

精神病理学には、このいずれに人間の本質をみるかという対照的な考え方がある。伝統的には後者が優位だが、著者も言うように、こちらは他者の「いいね」(=まなざし)に執着し束縛されるという意味で「健常発達」の病理を抱える。著者は木村敏(びん)、ドゥルーズらの思想に基づき、先の「デカルト的コギタチオ」の感覚に、健常発達の病理から解放される糸口を見出している。外部から不意に「やってくる」その感覚を捉えるには、私たち自身が秘めたADHD的なポテンシャルを大切にすべし、という著者の指摘に大いにうなずいた。
普通という異常 健常発達という病 / 兼本 浩祐
普通という異常 健常発達という病
  • 著者:兼本 浩祐
  • 出版社:講談社
  • 装丁:新書(240ページ)
  • 発売日:2023-01-19
  • ISBN-10:4065305381
  • ISBN-13:978-4065305386
内容紹介:
ADHDやASDを病いと呼ぶのなら、「普通」も同じように病いだーー「色、金、名誉」にこだわり、周囲の承認に疲れてしまった人たち。「いいね」によって、一つの「私」に束ねられる現代、極端… もっと読む
ADHDやASDを病いと呼ぶのなら、「普通」も同じように病いだーー

「色、金、名誉」にこだわり、周囲の承認に疲れてしまった人たち。
「いいね」によって、一つの「私」に束ねられる現代、極端な「普通」がもたらす「しんどさ」から抜け出すためのヒント

●「自分がどうしたいか」よりも「他人がどう見ているか気になって仕方がない」
●「いじわるコミュニケーション」という承認欲求
●流行へのとらわれ
●対人希求性が過多になる「しんどさ」
●本音と建て前のやり取り
●社会のスタンダードから外れていないか不安
●ドーパミン移行過剰症としての健常発達
●親の「いいね」という魔法

「病」が、ある特性について、自分ないしは身近な他人が苦しむことを前提とした場合、ADHDやASDが病い的になることがあるのは間違いないでしょう。一方で、定型発達の特性を持つ人も負けず劣らず病い的になることがあるのではないか、この本で取り扱いたいのは、こういう疑問です。たとえば定型発達の特性が過剰な人が、「相手が自分をどうみているのかが気になって仕方がない」「自分は普通ではなくなったのではないか」という不安から矢も楯もたまらなくなってしまう場合、そうした定型発達の人の特性も病といってもいいのではないか、ということです。――「はじめに」より

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2023年4月29日

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
斎藤 環の書評/解説/選評
ページトップへ