「因果関係不明」求められる後遺症の検証
最初にことわっておく。本書の見解と私の見解はかなり違う箇所もある。また著者のCBCテレビアナウンサー大石邦彦さんと私は大学のクラスメートであった。私は東京の大学に行った。そこに妙に声のよい男がいて、それが大石君だった。それから三十年経つが、その間、私は一度しか大石君には会っていない。そんな時、コロナ禍が起きた。そして、驚いた。あの温厚でサービス精神が旺盛だった大石君がインターネット上の映像で真剣な顔で解説し、ワクチン問題を鋭い舌鋒で論じていた。ネットで、というのには理由がある。コロナ・ワクチンの問題はセンシティブで東京のテレビ局は及び腰であった。ワクチン問題は世界的な大手製薬会社が相手になるから、広告料が気になるマスメディアは扱いにくい。大石君たち地方局が取材に奔走している姿がみてとれた。
本書では「8割おじさん」こと西浦博北大教授(当時)の接触制限の提言が「ウイルスへの恐怖を助長させた」とまで記す。当時はウイルスの性質が十分にわかっていなかった。間質性肺炎につながる株もあり、ワクチン接種や感染制御が難しかったインドでは結果的に超過死亡が500万人近くになった。対策を怠れば「日本の死者は42万人になる」とした試算を後になって批判できるだろうか、と私は思うが「検証」は必要である。
本書のテーマは「検証」の必要性だ。新型コロナでは検証が必要な事柄が山積している。ワクチン後遺症はその最たるものである。この点で著者と私の考えは同じである。新技術のワクチンをあれだけの人口に打ったのである。何も起きていないと考えるべきではない。後遺症を訴える患者の声を無視してはならない。反ワクチンとも違う。高齢化の進んだ日本で接触制限もワクチンも全くなければ、超過死亡がさらに増える。だからこそ無視はだめだ。
本書のタイトルのように、ワクチンには光と影がある。影の部分は、報道の光を当てねば、みえてこない。後遺症問題は難しい。接種をすすめたのも厚生労働省、後遺症を所管するのも厚労省という構図がある。著者は取材ノートをもとに本書を書いている。ワクチン関連死の疑いのある人の遺族、後遺症を訴える人々の会、直接取材を通じて、様々な様相が浮かび上がっている。ワクチン死は「因果関係不明」で、その先が問い詰められない。監察医の言葉を借りて著者はいう。「毒物は体に証拠を残すが、ワクチンは体に証拠を残さない」。「ほぼ全て因果関係不明」で片付けられている。
「遺体を死亡直後に診た医師が『ワクチンとの関連あり』と評価しても、厚労省で『評価不可』に覆るのはなぜか?」と、著者は厚労省の担当者に質問している。返ってきた答えは、「医師の判断には主観が入る…もう一度、第三者の冷静な目で判断する」であったという。ワクチンにはリスクがある。それでも多数が打たねばならぬ局面はこの後も必ずやってくる。国が自己責任と因果関係不明で押し通せば、国民はワクチンも国も信用しなくなるだろう。報道ががんばった名古屋市では全国に先駆け、地元医師会主導でワクチン副反応外来が設けられた。報道にも厚生行政にも、人を大切にする発想が要る。ワクチンの「影」から目をそらしてはいけない。