息潜め、多様な日常すくい取る
十八人の作家による二十三編の短編が収録される本書は、分厚い本ではない。短編というより掌編と呼んだ方がよいような作品が並ぶが、一編一編の密度が濃いので、世界に入り込んで、抜け出て、次の作品に移るのに時間がかかる。冒頭の一編に、まず心をつかまれた。「話し相手」と題される短編の主人公ヌーリアは、ひとりきりの部屋で写真を見ている。娘とその子どもたち。妹と甥。もうひとりの娘。最後まで近くにいた二番目の息子。お茶を飲みながら考える。「確かにここは暮らせる場所ではない。あの子たちが国から出ていってよかったと彼女は思う。幸せだ。よくぞみんなを送り出したものだ」。でも、ヌーリアは? ひとり故国に残り、誰にも知られずに死んでしまうのではという思いにとらわれる彼女は? 世界中に散らばる難民の背後に、苦渋の決断で彼らを見送る人々がいる。そんな、ほぼ語られてこなかった人々の日常を、細かに掬い取る短い小説群だ。
食事をしたり、学校へ行ったりする日常に、爆撃や自爆テロの描写が入り混じる。
恐ろしいのは爆撃だけではない。強権的な家父長制の中で息を殺すようにして生きるのもまた苛酷なことだ。「八番目の娘」の主人公は、女の子ばかり産み続けたため地位が低く、八回目の妊娠中に絶食してしまう。そうすれば男の子ができると聞いたからだ。男の子を産めない嫁には価値がない。
ジハード、自爆テロ、空爆、家父長制、虐げられる女性。これらは、アフガニスタンを語るときのステレオタイプかもしれないが、十八人の女性作家が描き出すものは、それらが日常にある生活の、もっと深部にある柔らかいものや、鋭いもの、その哀しみと喜びだ。「わたしの枕は一万一八七六キロメートルを旅した」というユーモラスな題名で描かれるのは、移民となることを選択した彼女が故国に残してきた、熟睡を保証する枕に関する掌編だ。決死の一時帰国の際に、その古い枕を取り返した彼女は、熟睡させてくれたのは枕ではなかったことに気づく。
家族が出払ったすきに女装する少年、わがままを通して赤いブーツを買ってもらった少女、一日働いて汗くさい体と重い荷物を引きずり帰途につく女性が規定料金の半額だけを握りしめてバスに乗る光景。女性だけを指揮して、洪水を避けるための水路を作るアジャの英雄伝も忘れ難い。
本書は、紛争などで書く場を奪われた作家を発掘するプロジェクト<アントールド>の発案により、彼女たち自身の言語であるダリー語とパシュトー語で書かれた作品が、作家自身やアフガンの人の手で英訳されたものだという。
十八人の女性作家たちの経歴は秘されている。ペンネームを使うことを選択した作家も多い。プロジェクトがスタートしたのはタリバンのカブール制圧以前だが、二〇二一年の夏にタリバンが政権についてから、「プリントアウトしたものを持っているのが危険になったので、原稿からいかにインクを消すかといった情報」に神経をとがらせねばならなくなった。書くことに身の危険が伴うのだ。
それでも彼女たちは秘かに書き続けているという。本書は英訳からの日本語訳、つまり重訳になるが、届けられるべき声を運ぶ翻訳というものの力を改めて感じた。