明治から続く、精神形成の伝統
「修養」とは≪主体的に自己の精神的成長を目指して努力する≫こと。教養が学歴エリート向けなのに対し、修養はもっと日常的で大衆的だ。働くノン・エリートを支え、社会と産業を支えた。「修養」の火付け役は、サミュエル・スマイルズ『西国立志編』(中村正直訳)だ。明治三年刊の≪近代日本初の自己啓発書≫で、巻頭の「天ハ自ラ助クルモノヲ助ク」が人びとの心に刺さった。
明治三十年代中頃から修養がブームになった。人生に悩む「煩悶(はんもん)青年」や上昇志向の「成功青年」向けに、『修養録』の松村介石やジャーナリストの徳富蘇峰らキリスト者、清沢満之(まんし)ら仏教者が修養を説いた。学校で教える修身に対し、学校外の実践が修養だ。
雑誌『成功』を村上俊蔵が創刊したのは明治三十五年。アメリカの実業家マーデンの『サクセス』誌の日本版だ。偉人の伝記が評判を呼び、職業選択や将来の進路に悩む若者が争って読んだ。
新渡戸稲造は『実業之日本』に処世論を執筆した。『成功』と並ぶ有力誌だ。それをまとめた『修養』もベストセラーに。著名な学者があえて「通俗雑誌」を選んだのは、万人の人格向上を願うクエーカーの信念かもしれない。
修養と会社経営を一体化したのが松下幸之助だ。学歴もなく九歳で丁稚(でっち)に出て、船場で商売の基本を仕込まれ、講談本を読んで社会常識を身につけた。独立して松下電気器具製作所を創業、苦労の連続だった。≪あらゆる機会を通じて全従業員が理念を共有し…集団で修養する体制≫を作った。著書も多く、今もビジネス書のベストセラーに名を連ねている。
幸之助は宗教とのつながりが深い。ラジオで「朝の修養」を聴き≪禅や神道、天理教や大本教、金光教や弁天宗、キリスト教に創価学会、立正佼成会など…と付き合った≫。浅草雷門や中尊寺…にも寄付した。ただし特定の宗教に深入りしない。「根源の社(やしろ)」という独自の神社を建て、本社には白龍大明神を、各事業部には黒龍、青龍、赤龍、黄龍大明神を祀(まつ)った。戦後すぐPHP研究所をつくり、≪人間には本来、繁栄、平和、幸福を招来する能力が与えられている≫と説いた。新宗教がよく掲げる生命主義に通じる点がある。
ダスキンを創業した鈴木清一も<宗教っぽい>ものを経営に取り入れた。鈴木は西田天香主宰の一燈園で目覚めた。一燈園は二宮尊徳の教えに拠る無宗派無所有の団体。鈴木は以後≪家や会社でトイレ掃除…感謝の合掌をすることが…日常とな≫り、「人間をつくる」優先の経営を進めた。
鈴木は一九六三年、日本初のフランチャイズビジネスを始めた。「あなたの人生が新しく生まれ変わるチャンス」ですと加盟店を募る。ビジネスと人生の成功を両方目指す日本流フランチャイズだ。
修養はいま社会の表面から消えたが、研修(研究+修養のこと)の形で企業の内外に生き残っている。自己啓発セミナーやオンラインサロンもその変奏曲である。
本書が描き出すのは、明治から現代に続く修養の太い伝統だ。ウェーバーは、プロテスタンティズムの倫理が資本主義を生むとのべた。その通説に収まらない日本独自のストーリーがここにある。
著者は社会学や宗教がベースの研究者。簡潔で丹念な文章が事柄の機微を描いて光る。