汎用性の高い素材から見つめ直す
プロローグで著者は言う。「いまや、木の役割を見直すべきときだ。本書は、このもっとも汎用性の高い素材と私たちとの関係性に基づいて、人類の進化、先史時代、歴史を新たに解釈しなおしたものである」「読者には何よりも、石・青銅・鉄という三種類の素材との関係によって人類の歴史が方向づけられたとする従来の定説に惑わされずに、この世界を見つめてみてほしい」。ここでは本書が、いわば私の頭に入っているような従来の常識への挑戦であることが明確に宣言されている。人類史として、時間軸は3部に分けられ、第1部「木が人類の進化をもたらした」は数百万年前から1万年前までとされ、第2部「木を利用して文明を築く」は1万年前から西暦1600年まで、第3部「産業化時代に変化した木材との関わり」、第4部「木の重要性と向き合う」は西暦1600年から現代までということになっている。著者の論考は主として欧州それも英国に中心が置かれ、例えば日本で重要とされる森林の保水能力に関わる論考などはほとんどない。当然ながら、人類と自然環境の関連は場所により、文化により異なるので、本書の論述をそのまま日本に当てはめることはできない。
第1部はヒトの身体的特徴とされるものが、二足歩行を含めて、森に棲(す)んだことと、どう関係してきたかを論じる。周知のように、ヒトの祖先は東アフリカが乾燥して熱帯雨林がサバンナに変化していく過程で、森を出てサバンナに下りたと考えられてきた。近縁の類人猿、ボノボ、チンパンジー、ゴリラは熱帯雨林に留まったままである。第1章「樹上生活の遺産」では、樹の上で暮らすことにより「身体の大きさ、大脳皮質の割合、そして知能というこれら三つの特徴は、じつは互いに結びついていて、霊長類は大型化するにつれて賢くなっていった」。身体の大きな類人猿の知能がなぜ発達したか、オランウータンを例にとって、著者はそれを丁寧に解き明かす。
第2章は「木から下りる」で、初期の人類が地上に下りたことと木材との関係を述べる。そこには植物の根を掘るための道具としての木材と木材を燃やす火という二点が重視される。第4章「道具を使う」では、石器に対する木製の道具の利点が述べられる。
第2部は第5章「森を切り拓く」から始まる。「木舟による交易の始まり」「農耕の開始」「どのようにして森を切り拓いたか」「家や井戸を造る」「萌芽(ほうが)から木を育てる」という項目から成り、第6章は「金属の融解と製錬」と題され、「木炭で金属を製錬する」「造船技術の進歩」「車輪の発明」「アメリカ大陸ではなぜ車輪が使われなかったのか」という項目を含み、第2部でわかることは「新技術は古い技術にとってかわるのではなく、古い技術の新たな活用法を促すのだ。銅や青銅の場合、これらの新素材がおよぼした最大の影響は、旧世界の人々が主要な構造材である木をもっと効果的に利用できるようになって、輸送網に革命を起こしたことだ」。
第7章「共同体を築く」以降は現代に近づくので、木工、楽器、紙などの各専門分野に任されるべきであろう。森林面積が国土の七割近くを占める日本で、木に注目するだけでよかったのに、ここまで興味深い人類史が書かれなかったのは、なぜであろうか。