戦争に対して文学ができることとは
あまりにも大きな歴史的事件が起きると、その影響は陰に陽に数十年、ときに数百年の単位で後世に影響を及ぼしつづける。その代表例が戦争だろう。日本の場合、およそ80年前に起きた第二次世界大戦が真っ先に思い浮かぶ。直接的な戦禍の傷跡こそほとんど目にすることはなくなったが、土地の権利、領土問題、経済界の秩序、人々の心の傷など、間接的に我々の生活を規定していることは論を俟たない。そう考えると、ウクライナ起きている戦争がどれほどの影響を残すかは未知数だが、戦争が身近なものとなった現代において、そのことについて考えることは意義深い。本書はタイトルの通り、イギリスを代表する劇作家シェイクスピアの作品における戦争描写や戦争の影響、彼が生きた時代の戦争など、シェイクスピアと戦争について多角的に論じられた著作だ。シェイクスピアの戯曲と言えば、直接的な戦争描写は多くはないが、王位継承や家同士の対立、復讐など、作品のメインとなる小さな対立の背景には、国家間や大勢力同士の大きな戦争が鎮座し、作品全体を統御しているのである。
いったいなぜそれほどにシェイクスピアの作品には戦争の影響が濃いのだろうか。それは当時のイングランドの人々にとって戦争は日常的かつ大きな関心時だったからに他ならない。代表的な戦争が、1585年から18年間続いた「英西戦争」である。海洋国家として伸長しつつあったイングランドが、覇権国家のハプスブルク家スペインと激突した戦争で、特にスペインの無敵艦隊を破った1588年のアルマダの海戦が有名である。更に、そのような対外戦争に加えて、アイルランドでの反乱、オックスフォードシャーでの農民による放棄など、内紛や内乱も少なくなかった。したがって、人々は戦争に対して関心を払っており、時代に対して鋭敏な劇作家たちはそれを自作に取り入れたのだ。シドニーやスペンサーのように実際に従軍していた文学者もいれば、シェイクスピアの場合は従軍した記録こそ残っていないものの、宮内大臣一座(のちに、国王一座)に所属していたことから政治には聡かったことは間違いがない。
だが、舞台上で戦争を扱うにはいくつかの困難が伴う。まず、上演するという制約から、多人数が登場したり、派手な兵器で攻撃したりするような、現実さながらの戦争を見せることは難しいこと。そこでシェイクスピアは、戦闘ではなく、会話によって緊迫感を演出することに注力した。対立する価値観や利害、それを基礎付ける法律などを通して、人物たちが応酬する様は正にドラマティックそのものとなる。(ドラマティックという語自体が彼の時代に生まれた新語だ。)そしてもう一つの困難として、当時の劇は検閲を受け、君主の表現を規制する法律が存在していたので、同時代の国王や戦争を描くことには大きな危険が伴っていたこと。そのような事情から、過去の史実にテーマを求め、虚構の君主や過去の王に仮託するようにして、同時代の君主に対する賛美や批判がなされたのだ。
文学だからこそできる戦争との向き合い方として興味深いのは「亡霊」だ。シェイクスピア劇には、シーザーやハムレットの父王、バンクォーなど様々な「敗者」が亡霊となって登場し、生者たちに過去を思い出させたり、不吉な予言を残し、それが物語を揺り動かす。そのことについて本書では「内乱や戦争の被害者は目の前から消えても、見えないところで漂っているからである。(中略)物語が語る歴史の一部の記憶が、亡霊たちによって蘇るのだ。」と述べられており、戦争という悲惨な記憶に対して文学が何をできるかの一つの答えがここに示されているのだ。
最後に本書の構成について付言しておく。本書は大きく二部構成になっており、第一部では「戦争を構成する者たち」と題して、戦いに身を投じる者たち、戦いによって傷つけられる者たち、そして戦いによって利益を得ようとする者たちについて、シェイクスピア作品に即しながら概論的に説明がなされる。言及される作品は多く、当時のヨーロッパ情勢などを知ることができて、シェイクスピア作品未読の読者にも興味深い内容になっている。第二部は「シェイクスピアが描いた戦争」として、第一部を踏まえた各論になっている。『ハムレット』、『マクベス』、『ヘンリー5世』、『リチャード3世』を取り上げて、それぞれの作品の戦争描写、元となっている史実などについて深く論じられる。戦争以外にも細かい言葉遊びや原文の意味にまつわる解釈も挟まるので、作品論として楽しむこともできる。