おしゃべりで行動的な「絶滅」の物語
アメリカの小説家ハーマン・メルヴィルの代表作『白鯨』は、冒険小説でありながら、鯨にまつわる文章が満載だ。鯨の語源、図鑑的な記述、捕鯨による影響など、あらゆる鯨情報が積み重ねられることで、鯨を通して世界が描かれる仕組みになっている。つまり、一つの事象を徹底的に描ききれば、そこには陰画のように宇宙の素描が浮かび上がるのだ。本作はドードー鳥と孤独鳥という絶滅した二種の鳥を題材に、それを達成した野心作である。主人公の望月環は新聞社の科学部の記者。彼は絶滅生物について研究を続けていた父親と、生物への深い関心を持った幼馴染の佐川景那の影響で、絶滅した生物に対して強く惹かれており、業務の傍でドードー鳥や孤独鳥などに関する独自の研究を続けている。
物語は、環による探究や取材、彼と景那との関係を軸に展開する。特に前者のパートでは、論文や図鑑の引用やまとめ、図版などがふんだんに盛り込まれ、読者は二羽の鳥についての足跡や生態に自ずと魅せられる。
なぜ研究書さながらの豊富な情報に満ち溢れているかと言えば、著者の川端は『ドードー鳥をめぐる堂々めぐり』という、ドードー鳥にまつわる骨太でスリリングな著書を上梓している、筋金入りのドードー鳥研究者だからだ。そのため、内容の確かさと深さは折り紙付き。特にドードー鳥が江戸時代に来日していたという近年明らかになった新事実を探究する行程が巧みに織り込まれているのは著者ならではだろう。
しかもそれらの情報が、ただの蘊蓄として作中で浮いているわけではない。二種の鳥を主人公たちは自らに重ね、それが自己を探すという物語のテーマと響き合う。加えて、生物が暮らす生態系、絶滅生物を復活させる是非など、専門的かつ倫理的なテーマが作品全体と主人公たちと緊密な共鳴を引き起こし、文学としての深みがある。その共鳴には、東日本大震災、コロナ禍といったこの約十年間に起きた厄災までもが含まれているため、現代小説としての読み応えも十分だ。