書評

『花と夢』(春秋社)

  • 2024/08/03
花と夢 / ツェリン・ヤンキー
花と夢
  • 著者:ツェリン・ヤンキー
  • 翻訳:星 泉
  • 出版社:春秋社
  • 装丁:単行本(308ページ)
  • 発売日:2024-04-18
  • ISBN-10:439345510X
  • ISBN-13:978-4393455104
内容紹介:
ラサのナイトクラブで働きながら場末のアパートで身を寄せ合って暮らす四人の女性たちの共同生活と、やがて訪れる悲痛な運命・・・・・・。家父長制やミソジニー、搾取、農村の困窮などの犠牲となり、傷を抱えながら生きる女性たちの姿を慈愛に満ちた筆致で描き出す。チベット発、シスターフッドの物語。英国PEN翻訳賞受賞作。
チベットの女性詩人の作品を集めた『チベット女性詩集』(海老原志穂編訳、段々社)が昨年、刊行された。そこにホワモという詩人がうたった「私に近寄るな」が収録されている。女性を欲望し続ける社会に荒々しい声で拒絶の意志を突きつけたあの詩は、チベットの女性たちがいかに生を簒奪されてきたかを告げる凄まじい作品だった。

ホワモが詩のなかでとどろかせた怒りの声は、ことによると、ツェリン・ヤンキー『花と夢』から聞こえてくる叫びなのかもしれない。

この小説はラサに生きる四人の女性を描いたものだ。父親が事故に遭い、弟の学費を代わりに稼ぐためにラサにやってきたドルカル。両親が亡くなり、よるべなさを抱えながら都会で家政婦となったヤンゾム。継母から出稼ぎに行くようにせき立てられ、四川から異民族の地に移り住んだシャオリー。無責任な恋人の子を流産し、故郷を追いやられたゾムキー。

地方から都会へと生活の場を変えた彼女たちは、やがてナイトクラブ《ばら》のホステスとなるのだが、その過程で何があったか。性的な暴力、裏切り、雇い主からのいじめに等しいいびり。男性や金持ちのような権力を握る都市の人々から凌辱された彼女たちは、じぶんという人間の価値を見失う。そしてその先で辿りついたのが《ばら》だった。

個人的には性産業に従事することを「闇に堕ちた」と呼びたくない。ただ、ここで彼女たちは紛れもなく、堕している。何に? 都会に、だ。

地方出身の彼女らはこの街で絶えず格差を自覚して生きることを強いられる。さらに女性であることで、男性によって虐げられる立場から常に逃れられない。そのことをまざまざと描く本作は、彼女たちを幽閉するラサを、資本主義と家父長制がかたち作る欲望の空間として映しだす。

人間的な尊厳の蹂躙。生の簒奪。そんな絶望のなかであえぐ四人は、しかし、諦めることはない。男たちに肉体を弄ばれても、一人の女性としての矜持だけは握って離さない彼女らは強く連帯し、互いに寄り添い続けるのだ。それが欲望に抵抗する唯一にして最大の手段である限り。

娼婦になる直前、ドルカルは叫んだ。〈権力を持った人間は、あたしたちの財産も権利も、果てはあたしたちの命までも奪っていくけど、誇りだけはあたしたちのものよ。絶対に渡さないんだから〉と。

ここに僕は、ホワモの詩に込められた憤怒の声を聞く。〈私に近寄るな/私は甘露ではない/私は欲望ではない/光り輝く真珠 それは私ではない/甘やかな唇 それは私ではない(……)〉。

言葉を持ったチベットの女性たちが、いま、世界に何を訴えているのか。奪われた自尊心を取り戻すために、何と戦っているのか。『花と夢』も『チベット女性詩集』に響くホワモの声も、その戦いの内実をつまびらかにする。時代は不変ではない。

チベット女性詩集: 現代チベットを代表する7人・27選 / ゾンシュクキ,ホワモ,チメ
チベット女性詩集: 現代チベットを代表する7人・27選
  • 著者:ゾンシュクキ,ホワモ,チメ
  • 翻訳:海老原 志穂
  • 出版社:段々社
  • 装丁:単行本(208ページ)
  • 発売日:2023-04-17
  • ISBN-10:4434318098
  • ISBN-13:978-4434318092
内容紹介:
チベットを代表する7人の女性詩人が長い沈黙をうち破り、自らの人生を力強く詠んだ詩(うた)の世界。80年代のフェミニズム運動の潮流をうけ、ジェンダーによる社会の偏見や、妊娠・出産する性で… もっと読む
チベットを代表する7人の女性詩人が長い沈黙をうち破り、自らの人生を力強く詠んだ詩(うた)の世界。80年代のフェミニズム運動の潮流をうけ、ジェンダーによる社会の偏見や、妊娠・出産する性である自らの身体を描き、女であることを讃美し、労働の重圧や、亡命への決意をつづり、これから歩むべき道を模索する。詩は彼女たちが道を切り拓くために必要な「武器」でもあった。
本書の詩を通してみえてくる彼女たちの姿には、わたしたちの歩んできた道もかさね合わされる。知られざるチベットの女性事情をつたえる7つのコラムを併載。本文の挿絵は、司馬遼太郎・原作『ペルシャの幻術師』、『月と金のシャングリラ』で話題の漫画家・蔵西が担当。読者が楽しく読めるよう、魅力的な一冊となっている。不透明な時代に行き惑う人々に、今、感動と新たな視座をとどける本

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花と夢 / ツェリン・ヤンキー
花と夢
  • 著者:ツェリン・ヤンキー
  • 翻訳:星 泉
  • 出版社:春秋社
  • 装丁:単行本(308ページ)
  • 発売日:2024-04-18
  • ISBN-10:439345510X
  • ISBN-13:978-4393455104
内容紹介:
ラサのナイトクラブで働きながら場末のアパートで身を寄せ合って暮らす四人の女性たちの共同生活と、やがて訪れる悲痛な運命・・・・・・。家父長制やミソジニー、搾取、農村の困窮などの犠牲となり、傷を抱えながら生きる女性たちの姿を慈愛に満ちた筆致で描き出す。チベット発、シスターフッドの物語。英国PEN翻訳賞受賞作。

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初出メディア

週刊金曜日

週刊金曜日 2024年6月7日号

わたしたちにとって大事なことが報じられていないのではないか? そんな思いをもとに『週刊金曜日』は1993年に創刊されました。商業メディアに大きな影響を与えている広告収入に依存せず、定期購読が支えられている総合雑誌です。創刊当時から原発問題に斬り込むなど、大切な問題を伝えつづけています。(編集委員:雨宮処凛/石坂啓/宇都宮健児/落合恵子/佐高信/田中優子/中島岳志/本多勝一)

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