書評
『聖女チェレステ団の悪童』(集英社)
孤児を主人公にした文学作品は数多い。ということは、読者は孤児の話が好きなのだ。なぜか。ひとつには大抵の人は主人公が成長する小説(ビルドゥングスロマン)を好むからという理由が挙げられるかもしれない。家庭というバックグラウンドを背負わない孤児の場合、その成長のさせ方の自由度が増すから、作者は書きやすかろう、読者も楽しかろう、というわけだ。
もうひとつの理由は憧れ。「あ~あ、ハックルベリー・フィンや長靴下のピッピみたいに、自由きままに遊んで暮らせたらなあ」と思わない子供時代を過ごした人がいるだろうか。おりますまい。わたしたちは皆、(その実情は無視して)孤児になりたかった! そうでしょ? 本書にもうっとりしてしまうくらい自由きままな孤児たちが登場する。しかも彼らはストリート・サッカー(S・S)の名手だ。S・Sとは何ぞや。これは通常のサッカーと違ってプレイヤーは五人。芝目の揃ったグラウンドなんてとんでもない、路上やドロドロの空き地といった悪条件の下で行なわれ、大抵の反則は許されるという実にアナーキーなスポーツなのである。不慮の出来事でプレイ自体ができなくなれば「コトニシヨウ」方式の試合さえ行われる。いってみれば想像によるゲーム。「○○というプレイをしたことにしよう」と言葉を応酬し合って決着をつけるわけだ。なんかいいよね。
我らが麗しの孤児たちは、そのS・S世界選手権に出場するため、肥溜めみたいに不愉快な聖女チェレステ孤児院から脱走する。追手は孤児脱走なんて不祥事がばれては困る教会サイドと、謎に包まれたS・S選手権の開催場所を突きとめようとするマスコミ。主人公たちは仲間を増やしながら敵のフェイントをかいくぐって、世界選手権に出場するのだが――。
教会や政治、マスコミに対する風刺も織り込まれていて、転がり続けるサッカーボールそのものといってもいいほどの饒舌かつ予測不能な語り口とは裏腹に、硬派なメッセージを読み取れる。けれど、あくまでも本領は孤児たちの悪童ぶりと痛快無比なホラ話にありの作品だ。ああ、やっぱり孤児がうらやましい!
【この書評が収録されている書籍】
もうひとつの理由は憧れ。「あ~あ、ハックルベリー・フィンや長靴下のピッピみたいに、自由きままに遊んで暮らせたらなあ」と思わない子供時代を過ごした人がいるだろうか。おりますまい。わたしたちは皆、(その実情は無視して)孤児になりたかった! そうでしょ? 本書にもうっとりしてしまうくらい自由きままな孤児たちが登場する。しかも彼らはストリート・サッカー(S・S)の名手だ。S・Sとは何ぞや。これは通常のサッカーと違ってプレイヤーは五人。芝目の揃ったグラウンドなんてとんでもない、路上やドロドロの空き地といった悪条件の下で行なわれ、大抵の反則は許されるという実にアナーキーなスポーツなのである。不慮の出来事でプレイ自体ができなくなれば「コトニシヨウ」方式の試合さえ行われる。いってみれば想像によるゲーム。「○○というプレイをしたことにしよう」と言葉を応酬し合って決着をつけるわけだ。なんかいいよね。
我らが麗しの孤児たちは、そのS・S世界選手権に出場するため、肥溜めみたいに不愉快な聖女チェレステ孤児院から脱走する。追手は孤児脱走なんて不祥事がばれては困る教会サイドと、謎に包まれたS・S選手権の開催場所を突きとめようとするマスコミ。主人公たちは仲間を増やしながら敵のフェイントをかいくぐって、世界選手権に出場するのだが――。
教会や政治、マスコミに対する風刺も織り込まれていて、転がり続けるサッカーボールそのものといってもいいほどの饒舌かつ予測不能な語り口とは裏腹に、硬派なメッセージを読み取れる。けれど、あくまでも本領は孤児たちの悪童ぶりと痛快無比なホラ話にありの作品だ。ああ、やっぱり孤児がうらやましい!
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初出メディア

ダカーポ(終刊) 1995年11月1日号
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