鋭敏で繊細 感情の表と裏
ナタリーア・ギンズブルグは、一九一六年、イタリアのパレルモで、ユダヤ系で解剖学者の父とカトリックの母とのあいだに生まれた。ファシスト党への宣誓を拒んだため、三四年から三六年まで獄中生活を送っている。三八年に結婚した夫のレオーネは、イタリアの文芸出版社エイナウディの創設者のひとりで、ファシズムへの抵抗運動の指導者として逮捕され、四四年、三十五歳で獄死した。本書『不在』は、彼女が書き残した短篇群としての「物語」を精選し、作者と一人称が合致する自伝的な要素をふくんだ「記憶」、「クロニクル」と接続させながら二部構成かつ編年でまとめたもので、表題は一九三三年、十七歳の折に発表した一篇から採られている。ふたつの部にわけられてはいるが、互いを照らしあうようにことばがならぶ。
描かれる人物、とくに女性たちは、子どもも大人もじつに鋭敏で繊細だ。置かれた境遇に甘んじている日々のなか、少し前を逃げていくはっきり言葉にできない感情に、彼女たちはなんとか追いつこうとするのだが、語り手はそれを少しも後押ししていないかのような、自然な手つきで手助けする。だからといって男たちの情けない横顔が完全に切り捨てられるわけでもない。
家族、兄弟、夫婦、友人、都会と田舎、誠実と不誠実、信じることと裏切り。事物を順に指差すような直線的な描写と簡潔な会話、どこにでもありそうな出来事の流れによって、登場人物の感情が、神経の連鎖とはちがう、あえて言えば糸電話の糸に近い、外から見える震えとしてあらわれでる。
編者のドメーニコ・スカルパは、「不在」と、同年に書かれた「九月」の二篇を評して、「ことばを自由に話させるのではなく、ことばに問いただすかのように、不安な関係をことばで引きとめている」と述べている。作者は創り出した人々のだれにも肩入れしない。≪そこにいない人≫じたいではなく、≪そこにいない人のことを考えつづけながら結局は考えないようにする時間≫を選ぶ人物たちの悔悟をも認めるのだ。
「わたしの夫」では、結婚前から関係していた相手と縁の切れない夫、そして夫を少しも愛していないのに愛しているふりをしてきた妻の負の様相が、いつのまにか和してしまう。
それでも、わたしはどこへ行ったらいいのかわからないだろう。わたしが行きたい場所は世界のどこにもなかった。
わかっていたことがあらためてわかるのは怖ろしい。「海辺の家」に登場する夫婦と夫の友人の息づまるような三重奏は、母が自死したあとの子どもたちの内心を伝える一篇「母親」の、「それにいまでは彼らは自分たちが彼女をさほど愛していなかったことがわかった」という結びと無関係ではないだろう。ナタリーア・ギンズブルグの短篇の本質は、わかるまでの時間が短くても長くても失われないからだ。書き手の声は年齢と環境によって変化しても、子どもたちの直感が大人たちの後づけのさとりを下回ることはない。
再婚した英文学者の夫との暮らしを描く「家」の、細部に迫る描写には、どこかプルーストの作品を思わせるところがある。そういえば、彼女はプルーストの『スワン家のほうへ』の翻訳者でもあった。