書評

『不在――物語と記憶とクロニクル』(みすず書房)

  • 2025/01/12
不在――物語と記憶とクロニクル / ナタリーア・ギンズブルグ
不在――物語と記憶とクロニクル
  • 著者:ナタリーア・ギンズブルグ
  • 翻訳:望月 紀子
  • 監修:ドメーニコ・スカルパ
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(352ページ)
  • 発売日:2022-09-17
  • ISBN-10:462209522X
  • ISBN-13:978-4622095224
内容紹介:
20世紀イタリアの「最も美しい声」ともいわれる作家、ナタリーア・ギンズブルグ。その人生をたどり現前させる珠玉の37篇で編まれた決定版選集。初公開の記事・ノンフィクションも収める。屈託… もっと読む
20世紀イタリアの「最も美しい声」ともいわれる作家、ナタリーア・ギンズブルグ。その人生をたどり現前させる珠玉の37篇で編まれた決定版選集。初公開の記事・ノンフィクションも収める。
屈託なく闊歩する女優さながらの女性、内気でひっこみ思案の女性、どんな女性でも時おり暗い井戸に落ちることがある。その傍らには、相手の目を見られず、内面が崩壊した、でも放っておけない男たち……。17歳のデビュー作から、少し悪意のある子どもの視線で語るような文体は「従来にない言語感覚」と評される。
不器用で孤独で、ことばが一種の「魔法」であった子ども時代。ファシズムにもナチスにも抗って活動したレオーネとの結婚と流刑地での暮らしと夫の獄死、革命が夢であった時間から、社会が反転する戦後の渦の中へ。パヴェーゼやカルヴィーノと働いた出版社での仕事。生活の現場や工場のルポルタージュ。やがて長男カルロは稀代の歴史家になった。
人生は勝手に進み、人はそれを眺めるしかない。そして運命はときに不意打ちをする。「フェミニズムは嫌い」と表明しながら、ナタリーアは共闘し、悲痛を生きのびる多くの女性たちの物語を書き続けた。
編者と訳者による本格的作家論・解説を付す。

不在 九月 子どもたち ジュリエッタ 裏切り 帰宅 海辺の家 元帥 わたしの夫 ドイツ軍のエッラ通過 娘たち 冒険の日々 荷馬車に乗って 母親 日曜日 思い出 アブルッツォの冬 ある村の年代記 農民 破れ靴 夏 マテーラの空をカラスが飛ぶ 南の女性たち 子ども時代 女性について アッルミニウム社の工場では百年まえの生活 身障者 フェッリエーリ社訪問 家 恐怖 怠慢 私の精神分析 子ども時代 白い口ひげ パッリダッシの月 パッラマッリオ街 やさしい花

鋭敏で繊細 感情の表と裏

ナタリーア・ギンズブルグは、一九一六年、イタリアのパレルモで、ユダヤ系で解剖学者の父とカトリックの母とのあいだに生まれた。ファシスト党への宣誓を拒んだため、三四年から三六年まで獄中生活を送っている。三八年に結婚した夫のレオーネは、イタリアの文芸出版社エイナウディの創設者のひとりで、ファシズムへの抵抗運動の指導者として逮捕され、四四年、三十五歳で獄死した。

本書『不在』は、彼女が書き残した短篇群としての「物語」を精選し、作者と一人称が合致する自伝的な要素をふくんだ「記憶」、「クロニクル」と接続させながら二部構成かつ編年でまとめたもので、表題は一九三三年、十七歳の折に発表した一篇から採られている。ふたつの部にわけられてはいるが、互いを照らしあうようにことばがならぶ。

描かれる人物、とくに女性たちは、子どもも大人もじつに鋭敏で繊細だ。置かれた境遇に甘んじている日々のなか、少し前を逃げていくはっきり言葉にできない感情に、彼女たちはなんとか追いつこうとするのだが、語り手はそれを少しも後押ししていないかのような、自然な手つきで手助けする。だからといって男たちの情けない横顔が完全に切り捨てられるわけでもない。

家族、兄弟、夫婦、友人、都会と田舎、誠実と不誠実、信じることと裏切り。事物を順に指差すような直線的な描写と簡潔な会話、どこにでもありそうな出来事の流れによって、登場人物の感情が、神経の連鎖とはちがう、あえて言えば糸電話の糸に近い、外から見える震えとしてあらわれでる。

編者のドメーニコ・スカルパは、「不在」と、同年に書かれた「九月」の二篇を評して、「ことばを自由に話させるのではなく、ことばに問いただすかのように、不安な関係をことばで引きとめている」と述べている。作者は創り出した人々のだれにも肩入れしない。≪そこにいない人≫じたいではなく、≪そこにいない人のことを考えつづけながら結局は考えないようにする時間≫を選ぶ人物たちの悔悟をも認めるのだ。

「わたしの夫」では、結婚前から関係していた相手と縁の切れない夫、そして夫を少しも愛していないのに愛しているふりをしてきた妻の負の様相が、いつのまにか和してしまう。

それでも、わたしはどこへ行ったらいいのかわからないだろう。わたしが行きたい場所は世界のどこにもなかった。

わかっていたことがあらためてわかるのは怖ろしい。「海辺の家」に登場する夫婦と夫の友人の息づまるような三重奏は、母が自死したあとの子どもたちの内心を伝える一篇「母親」の、「それにいまでは彼らは自分たちが彼女をさほど愛していなかったことがわかった」という結びと無関係ではないだろう。ナタリーア・ギンズブルグの短篇の本質は、わかるまでの時間が短くても長くても失われないからだ。書き手の声は年齢と環境によって変化しても、子どもたちの直感が大人たちの後づけのさとりを下回ることはない。

再婚した英文学者の夫との暮らしを描く「家」の、細部に迫る描写には、どこかプルーストの作品を思わせるところがある。そういえば、彼女はプルーストの『スワン家のほうへ』の翻訳者でもあった。
不在――物語と記憶とクロニクル / ナタリーア・ギンズブルグ
不在――物語と記憶とクロニクル
  • 著者:ナタリーア・ギンズブルグ
  • 翻訳:望月 紀子
  • 監修:ドメーニコ・スカルパ
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(352ページ)
  • 発売日:2022-09-17
  • ISBN-10:462209522X
  • ISBN-13:978-4622095224
内容紹介:
20世紀イタリアの「最も美しい声」ともいわれる作家、ナタリーア・ギンズブルグ。その人生をたどり現前させる珠玉の37篇で編まれた決定版選集。初公開の記事・ノンフィクションも収める。屈託… もっと読む
20世紀イタリアの「最も美しい声」ともいわれる作家、ナタリーア・ギンズブルグ。その人生をたどり現前させる珠玉の37篇で編まれた決定版選集。初公開の記事・ノンフィクションも収める。
屈託なく闊歩する女優さながらの女性、内気でひっこみ思案の女性、どんな女性でも時おり暗い井戸に落ちることがある。その傍らには、相手の目を見られず、内面が崩壊した、でも放っておけない男たち……。17歳のデビュー作から、少し悪意のある子どもの視線で語るような文体は「従来にない言語感覚」と評される。
不器用で孤独で、ことばが一種の「魔法」であった子ども時代。ファシズムにもナチスにも抗って活動したレオーネとの結婚と流刑地での暮らしと夫の獄死、革命が夢であった時間から、社会が反転する戦後の渦の中へ。パヴェーゼやカルヴィーノと働いた出版社での仕事。生活の現場や工場のルポルタージュ。やがて長男カルロは稀代の歴史家になった。
人生は勝手に進み、人はそれを眺めるしかない。そして運命はときに不意打ちをする。「フェミニズムは嫌い」と表明しながら、ナタリーアは共闘し、悲痛を生きのびる多くの女性たちの物語を書き続けた。
編者と訳者による本格的作家論・解説を付す。

不在 九月 子どもたち ジュリエッタ 裏切り 帰宅 海辺の家 元帥 わたしの夫 ドイツ軍のエッラ通過 娘たち 冒険の日々 荷馬車に乗って 母親 日曜日 思い出 アブルッツォの冬 ある村の年代記 農民 破れ靴 夏 マテーラの空をカラスが飛ぶ 南の女性たち 子ども時代 女性について アッルミニウム社の工場では百年まえの生活 身障者 フェッリエーリ社訪問 家 恐怖 怠慢 私の精神分析 子ども時代 白い口ひげ パッリダッシの月 パッラマッリオ街 やさしい花

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2022年12月10日

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