書評
『ボイコットする身体――脳神経科医が出会った心身症患者たちの物語』(紀伊國屋書店)
どこで何度調べても、なにもわからない
心身症といえば、生命にかかわる重大な病というより、軽い簡単な病気では、と思うのではなかろうか。ちょっとしたノイローゼ、心の不調。正式になになに病という名前で呼ぶほどのこともない。しかし、話はそう簡単ではない。本書を読めば、それがわかる。著者は英国の神経科医。臨床経験はすでに長く、てんかんの専門医でもある。てんかんは痙攣(けいれん)を主徴とする脳の病気だが、痙攣発作でてんかんを疑われ外来を訪れる患者の七割はてんかんではない。おそらくそうした背景もあって、著者は本書を書いたのではないか。著者の第三作『眠りつづける少女たち』(紀伊國屋書店)はすでに本欄で紹介したことがある。
著者は長い臨床経験の中で自ら診察した患者を例として心身症の実態を述べていく。本書は九章からなるが、そのうち七章は患者の名前が章題になっている。実例から書き起こしているので、じれったいといえばそうで、忙しい人なら早く結論をとイライラするかもしれない。評者自身はそこに著者の臨床家としての良心と能力を見たと思っている。同時に英国の経験主義の優れた伝統を感じた。
心身症では理学的な所見がないのに、患者にさまざまな症状が現れる。理学的所見とは、いわゆる「検査の結果」で、それが正常なのである。何度調べても、どこで調べても、検査所見に異常が認められない。しかし患者自身はてんかん様の痙攣発作を起こしたり、目が見えなかったり、極端な疼痛(とうつう)を感じたりしている。『眠りつづける少女たち』では理学的所見に異常はないのに、意識がない症例を世界各地から集めている。
心身症の患者が外来に来た時に起きる典型的な会話は「検査の結果、あなたには異常がありませんでした」。医者が患者にそう伝える。「でも先生、私は具合が悪いんです」
さて、そこでどうすればいいのか。病気にも重視されるランキングがあって、「致死の疾患が、もっとも重視されるのはあきらかだ。しかしそれ以外の病に関しては、非公式なランキングが存在し、そこでは精神疾患は徹底的に軽視されている。とりわけ身体疾患として顕現する精神疾患は、このランキングの最下位を占め、いわば病のペテン師として扱われている」
これも著者が本書を書いた動機の一つであろう。心身症は決して軽く見てはならない重大な疾患なのである。しかし医療界も世間もそうは感じていない。それが患者の苦痛を無用に長引かせ、さらに余計な医療費を生む原因の一つになっている。
本書の半ばで、著者はパリのサルぺトリエール病院におけるヒステリーの研究史をやや長く紹介する。そして心身症の研究はその時代からさして進んだとはいえないのではないか。そう示唆する。
著者は最大の進歩といえる心身二元論の克服について触れる一方で、最終章は「笑い」と題されている。笑いは特有の精神状態とともに、じつにさまざまな身体反応を引き起こす。この笑いと身体反応の関係をきちんと論理的に説明できるであろうか。私たちの心身の問題はわかっているようで、じつはまったくわかっていない。はたしてAIが笑う日が来るであろうか。
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