前書き

『読書休日』(晶文社)

  • 2017/08/29
読書休日 / 森 まゆみ
読書休日
  • 著者:森 まゆみ
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(285ページ)
  • 発売日:1994-02-01
  • ISBN-10:4794961596
  • ISBN-13:978-4794961594
内容紹介:
電話帳でも古新聞でも、活字ならなんでもいい。読む、書く、雑誌をつくる、と活字を愛してやまない森さんが、本をめぐる豊かな世界を語った。幼い日に心を揺さぶられた『フランダースの犬』、… もっと読む
電話帳でも古新聞でも、活字ならなんでもいい。読む、書く、雑誌をつくる、と活字を愛してやまない森さんが、本をめぐる豊かな世界を語った。幼い日に心を揺さぶられた『フランダースの犬』、『ゲーテ恋愛詩集』、そして幸田文『台所のおと』まで。地域・メディア・文学・子ども・ライフスタイル―多彩なジャンルの愛読書の中から、とりわけすぐれた百冊余をおすすめする。胸おどる読書案内。
活字中毒、といわれればそうである。子どものときから活字なら何でもよかった。フスマの裏の新聞紙でも、焼き芋の袋でも、電話帳でも。

育った十五坪の家では、一人静かに本を読む場所などはなかった。父が三畳に作ってくれたベッドの上の段が唯一、私専用の場所。小学校に上がるころからそこにスタンドをもちこみ、夜の夜中まで本を読みふけった。一冊読み終わると、梯子段をそうっと降りて、両親の寝ている隣の部屋を通りぬけ、廊下の本棚まで次の本を取りにいく。「何してるの、遅いんだからもう寝なさい」と母が半分、寝ながら怒鳴る。寝巻の私はびくんとする。

そこで考えた。本をベッドのマットレスの下に並べて敷いてしまったのだ。本の厚さがちがうのでデコボコし、寝にくかったけれど、かまわない。一冊終わると布団をめくって足元から少し温まった本を引っぱり出し、読み終わった本はあいた穴に埋めもどし、また腹ばいで読みつづける。

こんなことを繰り返しているうちに、目が乱視になってきた。そればかりではない。私は心の不安定をきたしてしまった。とにかく壁のしみは、「黒猫」が埋め込まれているせいのような気がするし、天井の木目は怖ろしく速く走る獣、私を捕まえに来た某国のスパイに見えてしまうのである。私は夜中になると、しくしく泣くようになった。

ついに読みすぎで目の前を蚊が飛ぶようになり(飛蚊症というらしい)、登校拒否となった。駒込病院の眼科へ行くと、

「読書は禁止。月とか、星とか遠くにあるものを見させたらよいでしょう」

というわけで、夜は物干しや裏の高台から星座早見表を片手に星を見、月の満ち欠けを観察することになった。

眉輪月、十六夜(いざよい)月、立ち待ち月……美しい言葉を、母から教わった。桜貝のように見える月もあったし、爪の先のような月も、薄切りのかぶのような月も見た。あそこにはウサギがいる、かぐや姫も住んでるのか。――本気でそう思ったのも、アポロがまだ月面に到着する前ののどかな時代だったからだ。

登校しない日もそんなにつづかなかったが、読書の禁止はとけなかった。夜は、母によってパチリと電気が消された。が私もさるもの、今度は懐中電灯を隠匿し、布団をすっぽりかぶってその中で本を読むことを考えついた。

中学になるとお風呂の中で本を読むことを覚えた。風呂の白木のふたを見台とする。ぬるめの湯舟につかって、文庫本を読みあげる。外に虫の声。よく湯の中に本を落っことして、あわててしずくを払い、干しておくと三倍くらいにふくれ、ガワガワになった。ホントに何冊、お風呂で文庫本を駄目にしたかわからない。お風呂のなかで読める防水加工の本はないものか、といまでも思う。

二つちがいの妹は、私がお風呂で本を読むのをずっと見てきた。この前の朝も、彼女は目をこすりながら言った。

「お姉ちゃん、きのう変な夢みた。子どもたちつれてアルベールビルのオリンピックを見にいってね、競技場のそりで思い切り遊ばせたあと、北極海を見に行ったの。そしたら、お姉ちゃんが氷の海にプカプカ浮きながら、本読んでたよ。ラッコたちといっしょに、コンブ体に巻いてさ、水につかってると案外寒くないよって本読んでた」

いま住んでいる家も、けして広くない。

本棚までは二歩である、坐っているコタツからでも、玄関からでも。だいたい玄関などというものはなくて、半畳の土間があって、ふすまを開けるといきなり六畳の居間兼仕事場なのだ。そこで子どもたちが食事をとり、わめいておるのだからして、仕事をしながら私はもう頭がグチャグチャになる。

そういうときは散歩にいこう。本を一冊、ポケットに入れて……。

本を読むのにもってこいの場所があちこちにある町なのだ。桜満開の谷中墓地はどう。朽葉散る根津神社ってのもいいよ。玉林寺の墓地も人が少なくて石仏と差し向かいで本が読める。本郷の三四郎池のほとりも腰を落ちつける手頃な石があるし……。

もろに陽射しを浴びないように木陰をえらんで、ぐずぐずと半日、本を読んでいる。

休みの日でなくても、本を読んでいるときが、私の休日なのである。
読書休日 / 森 まゆみ
読書休日
  • 著者:森 まゆみ
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(285ページ)
  • 発売日:1994-02-01
  • ISBN-10:4794961596
  • ISBN-13:978-4794961594
内容紹介:
電話帳でも古新聞でも、活字ならなんでもいい。読む、書く、雑誌をつくる、と活字を愛してやまない森さんが、本をめぐる豊かな世界を語った。幼い日に心を揺さぶられた『フランダースの犬』、… もっと読む
電話帳でも古新聞でも、活字ならなんでもいい。読む、書く、雑誌をつくる、と活字を愛してやまない森さんが、本をめぐる豊かな世界を語った。幼い日に心を揺さぶられた『フランダースの犬』、『ゲーテ恋愛詩集』、そして幸田文『台所のおと』まで。地域・メディア・文学・子ども・ライフスタイル―多彩なジャンルの愛読書の中から、とりわけすぐれた百冊余をおすすめする。胸おどる読書案内。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
森 まゆみの書評/解説/選評
ページトップへ