対談・鼎談

『紋章だけの王国』 (日本実業出版社)|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2017/11/29
紋章だけの王国―テレビCMの歴史と構造  / 向井 敏
紋章だけの王国―テレビCMの歴史と構造
  • 著者:向井 敏
  • 出版社:日本実業出版社
  • 装丁:-(226ページ)

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山崎 一言でいいましてこれはテレビのコマーシャル・メッセージの歴史です。

著者は、電通というわが国を代表する広告会社に勤めて、テレビCMの現場に携わってきた人ですから、CMというものを内側から見ていて、しかもそれを知的に解説し得る珍しい人材です。だいたいCMというと、知識人はばかにする。普通の人たちはただそれに耽溺する。だれも真面目に考えない。にもかかわらず、非常に大きな有形、無形の影響を現代人の精神状態に与えているものであるわけですが、彼は自分自身その渦中にいながらも、ちゃんと距離を置いてその歴史を明晰に分析してくれています。

彼の分析に従いますと、テレビCMのこれまでの傾向は四段階に分かれます。まずラジォから発達して、それがテレビに移行しましたので、聴覚的な刺激、中でもCMソングというものが主導的になった時期がある。それが最初です。しかもこのCMソング時代が三段階に分かれていて、第一段階はホームソング調。第二段階は、それに対してショックソングと彼は呼ぶんですけど、むしろ商品の名前を連呼したりして、速いテンポのリズムで視聴者の関心をわしづかみにする。第三段階はイメージソングと呼ばれる段階で、商品のもっている世界にもう少し深みをもたせて、しかし、かなり具体的に歌わせようというやり方です。

やがてそこに日本独特の現象があらわれてきて、ごく短い時間に商品のイメージを訴える十五秒スポット時代というものが出てきました。この十五秒という外形が内容を決定して、ホームソング主導型からキー・ワード主導型へ移っていく。すなわち、何であれ人の心を刺激し、かつ関心を集めるような奇怪なる言葉を述べ立てて、それを鍵にして、その先に商品名をぶら下げるというやり方でありまして、決して商品の内容を論理的に説明するものでも、ムードを叙情的に伝えるものでもない、新しい分野ができてきます。やがて、それにタレントの特異性を重ねてタレント・キー・ワード時代というものができてくるのでして、その象徴的な現われが大橋巨泉の「はっぱふみふみ」であった。

そこで一つの大革命が起こるんですね。その大革命をつくり出したのがレナウンの「イエイエ」という広告でして、それは、歌もあれば映像もあり、それ自体がもはや視聴者にとって楽しみになり得る一つの完結した世界。それまではCMの時間はトイレ・タイムであったのに、この「イエイエ」のあと、ドラマは見ないでCMだけ見るのが通であるといういい方が流行ったことがありました。

ところが、すべて功罪は背中合わせでして、「イエイエ」が成功したために、日本のCMはフィーリング型時代というものにのめりこんで行った。そこへもってきて、マクルーハンという少しいかがわしい思想家が出てきて、メッセージというのはマッサージであって、何かわからせるというより撫で回すものであるというような理論が流行したために、CMは何か感じさせればよろしい、というわけで特にこの商品を買わなければならないと論理的に説得をおこなう、そういうものが欠如していった時代が来た。そして「イエイエ」がつくり出し、かつ間違って受けとられてそのまま展開してきたフィーリングCMというものはいまだに有力だと彼は見ています。

しかし、いま著者は新しいもののめばえを見ていて、それはコンセプト型というものです。すなわち、その商品の特色を非常に端的なイメージで伝える。そういうことは、じつは文学の歴史を振り返ってみれば、とうの昔に当り前になってるわけですけど、ようやくCMの世界もそこまで辿り着いたというわけです。

以上、著者ははなはだ論理的にCMの歴史を描き出すと同時に、われわれの生きている社会の一つの側面をはっきりと浮かびあがらせてくれています。彼がいうのは、大量消費時代のCMというものは、いってみれば初めから成功を約束されていた。それからもう一つ、テレビ・コマーシャル時代の前半はいわば技術革新の時代であると同時に、一種のリアリズムの時代なんですね。家庭の主婦にとって電気洗濯機が入ってくるということは、冬のあかぎれから解放されるというリアリティーだったわけですね。そういう段階のCMはある意味で非常に楽だった。いまやそういう楽な時代は遠ざかって、改めて論理的な説得と、それから商品の選別という原点に戻って出発すべきである、という一種の批評を含んでこの本はできあがっております。

最近、類書が一、二出ていて、それぞれおもしろいんですけど、向井さんという人がその現場にいたということ、そしてCMに対する彼のアンビバレント(感情の正反二面性)な態度がよくあらわれていて、この本に好感がもてました。

丸谷 アンビバレントなんてうまいいい方をすでにされてしまったんで具合が悪いんですけどね。ぼくは、この人が現場にいてコマーシャルに関係しているというところ、それをもっと出してもらったほうがよかったと思うんです。

たとえば、タレントの芸という概念がこの本にはまったくない。もっぱらCM作者の領域で話は決まっているんですね。しかし、われわれがCMを見るときに目につくのは、まずタレントの芸ですよね。そのタレントの芸についてこの人は一言もいわない。一〇四ページ。「ハッピーCM」を論じたところで、サミー・デイヴィス・ジュニアのサントリーの「アドリブ」がきわめつけだといってる。このきわめつけというところが優れた芸人に対する讃辞だといえばいえるけど、しかし、研ナオコの芸と彼の芸を同一に論ずるというのは、芸というものに対する認識があまりにも簡単すぎるという気がするんですよ。サントリーの「アドリブ」を論じて――、

まことに屈託がなくて、鼓腹撃壌ということばをふと思いうかべさせられたりする

これは社会評論家の言葉であって(笑)、ある芸人の芸を見ておもしろがっている劇評家の言葉ではない。

(次ページに続く)
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初出メディア

文藝春秋

文藝春秋 1978年2月10日

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