コラム

種村季弘とマニエリスム美術

  • 2017/11/13
グスタフ・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』が、種村季弘・矢川澄子訳で刊行されたのは一九六六年。私が大学に入る前の年のことだ。そのときにすぐ購入したのかどうか、たぶん入学後に貧り読んだ書物のひとつだろう。その頃、大学生は澁澤龍彥・種村季弘を読む者と読まない者とに二分されていた、そんな気さえする。「異端」とか「暗黒」とかいった言葉が、一抹の気恥かしさとともに、それでも熱く口にのぼせられていた時代である。

迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫) / グスタフ・ルネ・ホッケ
迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫)
  • 著者:グスタフ・ルネ・ホッケ
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(512ページ)
  • 発売日:2010-12-17
  • ISBN:4003357515

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※詳しい購入方法は、各ネット書店のサイトにてご確認ください。

迷宮としての世界(下)――マニエリスム美術 (岩波文庫) / グスタフ・ルネ・ホッケ
迷宮としての世界(下)――マニエリスム美術 (岩波文庫)
  • 著者:グスタフ・ルネ・ホッケ
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(384ページ)
  • 発売日:2011-01-15
  • ISBN:4003357523

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そんななかで『迷宮としての世界』の邦訳は、なにか突出した感があった。本体の表紙は、ぞっとするような美しさをたたえた、お菓子の城のようなモンス・デジデリオの絵で飾られ、そしてケースの裏には「未聞の世界ひらく」との三島由紀夫の言葉が踊っていた。マニエリスムの広大な世界が、こうしてわれわれの前に明らかにされるにいたったのだ。

同じ一九六六年にはマニエリスム復権の先蹤をなしたマクス・ドヴォルシャックの「グレコとマニエリスム」という論文を含む『精神史としての美術史』(中村茂夫訳、岩崎美術社)も邦訳され、その後数年間でヴァルター・フリードレンダーやアーノルト・ハウザーのマニエリスム論も邦訳刊行されることになったから、マニエリスム概念をめぐる議論の地平は、少なくとも七〇年代にはおおよそ見えてきたといっていい。氏は、ホッケの邦訳の「訳者あとがき」において、しかしすでに驚くべき的確な美術史的認識を披瀝しており、あまつさえ(この副詞は種村的だ!)カントの『判断力批判』(一七九〇年)の一節を「今日私たちの適用しているマニエリスム概念のほとんど正確なパラフレーズ」として引いているのである。それはこういうものである。「ひとつの芸術作品が衒奇的(maniriert)であるというのは、この芸術作品におけるその理念の陳述が珍奇性へと基礎づけられており、かならずしも理念に忠実になされてはいない、という場合にのみいえるのである。自身をひたすら俗悪なるものから(とはいえ精神でなく)区別しようとする華美(プレシューズなもの)、奇矯、矯飾は、自身の言葉や立居振舞いにさながら喝采されるために舞台に上がっているもののように聞き惚れているといわれるような男の、しかもたえず大根役者であることを明かしてしまうようなしぐさを思わせる」。氏がマニエリスムとカントを結びつけるヒントをどのあたりから得たのか私は詳らかにしないが、これは少くともわが国のマニエリスム論においてほとんどまったく聞こえてこない洞察である。ことほどさように氏は、凡百の美術史家とは一線を画しつつそれをはるかに凌駕するかたちで、この国にマニエリスムなる「未聞の世界」を紹介し、そしてきわめて自覚的にこの概念に身を棹さすことを決意するところから出発したのだと思われる。

氏は、その後、同じホッケの『文学におけるマニエリスム』を訳出し、『迷宮としての世界』とともに、美術・文学の世界に一種のパラダイム変換をもたらしながら、さらにこの碩学の足跡をたどるように、『絶望と確信』と『マグナ・グラエキア』(平凡社、一九九六年)を翻訳刊行する。

師ロベルト・クルティウスから弟子ホッケへ受け継がれて、ひとつの「原身振り」と化したマニエリスム概念は、彼をして一方で二十世紀芸術を語ることを得さしめ、他方で「精神の故郷」たる南部イタリアの「大ギリシア」、ギリシア植民地を遍歴することを得さしめる。なぜマグナ・グラエキアか、氏にいわせれば、こういうことだ。「ホッケのマニエリスム研究の基本的な概念ともいうべきマニエリスムとアジアニスムスとの相互関係を一瞥で把握するには、このイタリアのいまや昔日の面影もなく荒廃にゆだねられた踵に、すなわち大ギリシアのピュタゴラスを頂点にいただく文化風土に注目するのが何よりも捷径ではないかと思う」と。

してみれば、ホッケの弟子たるハンス・H・ホーフシュテッターの『象徴主義と世紀末芸術』の訳業も、さらには『ユーゲントシュティール絵画史』(池田香代子との共訳)のそれも、あるいはシュモル=アイゼンヴェルトほかの大部の論集『世紀末』の監訳も、世紀末ないし世紀転換期の芸術を、それ自体として主題化するというよりは、マニエリスム―ロマン派―象徴主義―現代美術というアリアドネの糸を成す「原身振り」の連鎖においてとらえようとする氏自身の意識の構えが原著者と重ね合わされたものと考えるべきだろう。

(次ページに続く)
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