書評
『ノリーのおわらない物語』(白水社)
トヨザキ的評価軸:
◎「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
というのもベイカーといえば、緻密な観察眼による”神は細部に宿る”式の徹底したディテール描写が持ち味なわけで、語彙の乏しいガキが語り手じゃその面白さは到底……と、そんな心配は、すみません、杞憂でした。ベイカーはその電子顕微鏡的観察眼と憑依力によって、完全なる子供語りに成功。で、巷に溢れ返る子供を語り手にした小説が、ぜえーんぶ、大人である作者にとって都合のいい、捏造された子供語りによるものであることを教えてくれるのだ。
アメリカからイギリスに引っ越してきたばかりのノリーが、日々の生活の中で見聞きしたことや感じたこと、考えたことを、転校先の学校での出来事を中心に綴った五十六の短い章。子供の脳内世界は不完全でとりとめもないから、一貫したストーリーが流れているわけではないし、学校と家と、時々家族と訪れる古いお屋敷や聖堂、それが世界のすべてだから何か大事件が起きるわけではない。なのに、というか、だからこそ、ものすごく面白いのだ。話したいことが山ほどあるのに、能力がついていかないから「あのね、あのね」と気持ちばかりが前のめり。話をうまく首尾一貫させることができず、ちょっと不思議な展開になってしまい、背伸びして難しめの言葉を使おうとしちゃ間違って――。キュートな言い間違えがちりばめられたノリーの伸び伸びした語りは、まさに子供そのもので、その語りのリズムに身を任せているうちに、なんというか、自分も子供返りしてしまう、そんなこそばゆい現象が起きてしまうのだ。
お話を作るのが大好きなノリーだからか、「あたし」という一人称ではなく、自分を三人称に見立てる語りになっているのだけれど、それがまた、叙述のアクセントとして効いている。ところどころに挿入されている、ノリーが作った物語内物語も抜群の面白さ。岸本佐知子という良き訳者を得て、ベイカーが創出した子供語りは見事にチャーミングな日本語の子供語りになったというべきだ。ベイカーに豊田正子の『綴方教室』(岩波文庫)を読ませてあげたいなあ。きっと、とても喜ぶと思うんだけど。
【この書評が収録されている書籍】
◎「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
電子顕微鏡的観察眼と憑依力による完全なる子供語り
何十秒かの間に、一人の男の脳裏によぎるさまざまな事柄を、微に入り細をうがつナノテク的描写で綴った究極の心理小説にして脚注小説『中二階』(白水社)、テレフォン・セックスを題材にした前代未聞の電話小説『もしもし』(白水社)などで海外小説ファンに人気が高い作家、ニコルソン・ベイカー。その長篇五作目の語り手は、なんと九歳の女の子なんである。これには意表を突かれたというべきでありましょう。というのもベイカーといえば、緻密な観察眼による”神は細部に宿る”式の徹底したディテール描写が持ち味なわけで、語彙の乏しいガキが語り手じゃその面白さは到底……と、そんな心配は、すみません、杞憂でした。ベイカーはその電子顕微鏡的観察眼と憑依力によって、完全なる子供語りに成功。で、巷に溢れ返る子供を語り手にした小説が、ぜえーんぶ、大人である作者にとって都合のいい、捏造された子供語りによるものであることを教えてくれるのだ。
アメリカからイギリスに引っ越してきたばかりのノリーが、日々の生活の中で見聞きしたことや感じたこと、考えたことを、転校先の学校での出来事を中心に綴った五十六の短い章。子供の脳内世界は不完全でとりとめもないから、一貫したストーリーが流れているわけではないし、学校と家と、時々家族と訪れる古いお屋敷や聖堂、それが世界のすべてだから何か大事件が起きるわけではない。なのに、というか、だからこそ、ものすごく面白いのだ。話したいことが山ほどあるのに、能力がついていかないから「あのね、あのね」と気持ちばかりが前のめり。話をうまく首尾一貫させることができず、ちょっと不思議な展開になってしまい、背伸びして難しめの言葉を使おうとしちゃ間違って――。キュートな言い間違えがちりばめられたノリーの伸び伸びした語りは、まさに子供そのもので、その語りのリズムに身を任せているうちに、なんというか、自分も子供返りしてしまう、そんなこそばゆい現象が起きてしまうのだ。
お話を作るのが大好きなノリーだからか、「あたし」という一人称ではなく、自分を三人称に見立てる語りになっているのだけれど、それがまた、叙述のアクセントとして効いている。ところどころに挿入されている、ノリーが作った物語内物語も抜群の面白さ。岸本佐知子という良き訳者を得て、ベイカーが創出した子供語りは見事にチャーミングな日本語の子供語りになったというべきだ。ベイカーに豊田正子の『綴方教室』(岩波文庫)を読ませてあげたいなあ。きっと、とても喜ぶと思うんだけど。
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