書評

『西欧言語の歴史』(藤原書店)

  • 2017/10/24
西欧言語の歴史 / アンリエット・ヴァルテール
西欧言語の歴史
  • 著者:アンリエット・ヴァルテール
  • 翻訳:平野 和彦
  • 出版社:藤原書店
  • 装丁:単行本(588ページ)
  • 発売日:2006-09-01
  • ISBN-10:4894345358
  • ISBN-13:978-4894345355
内容紹介:
ギリシア、ケルト、ラテン、ゲルマン――民族の栄枯と軌を一にして盛衰を重ねてきた西欧の諸言語。数多存在する言語のルーツ、影響関係をつぶさにたどり、異なる言語同士の意外な接点を発見しながら、かけがえのない「ことば」の魅力を解き明かす欧米のベストセラー、ついに完訳!

ペストと戦争が英語を世界語にした

近年、民族の起源と混血を探るのにDNAが役だっているが、もう一つ、民族のルーツと交流を解き明かしてくれるのが言語である。言語こそは民族がどこから発し、征服や被征服、交易や交流などを通してどのように変容していったか、その史的変遷を教えてくれる重要なカギなのである。

本書は、言語の起源と歴史と分布をヨーロッパの全言語(スラブ語系とアジア系は除く)について調べ、目の覚めるような見取り図を示した画期的な本である。

たとえば、いまや世界言語となっている英語も北海沿岸のアングル人、サクソン人、フリジア人などのゲルマン民族が話していたマイナーな低地ドイツ語という出自を持つ。彼らは民族大移動の際に対岸のブリテン島に侵入し、先住民のケルト人を辺境に追いやったが、ケルト人は侵略者の言語に同化することなく、アイルランドやスコットランド、ウェールズ、ブルターニュ半島などでケルト語を使い続けた。これらケルト人をサクソン人は「異邦人」という意味で「Wealas」と呼んだが、やがてその呼び名はウェールズという地名に変る。反対にケルト人たちは侵入者をアングル人の名で総称し、その言語を「Englisc」と名付けた。ここから「English」という言葉が生まれたのである。

古英語はケルト語の影響を受けなかったが、河や海や山など地名にはケルト語の影響が残っている。「ドーヴァーDover(Douvres)の場合であり、この語はケルト語のdubris『水』からきている」。カンタベリーやソールズベリーなどは要塞(ようさい)の意味のゲルマン語尾「‐bury」の変化形がケルト語の地名に付いたものである。

八世紀に入るとブリテン島はバイキングの侵略を受け、古英語は共通のルーツを持つノルド語と特異な形で混じり合うことになる。二つの言語は語彙(ごい)的には共通していたが、格変化の語尾は違っていた。そのため、「共通個所さえ、ハッキリと発音していれば、語末は曖昧(あいまい)でかまわない」とされるようになり、英語からゲルマン語の特徴である格変化が消えていく。

ついで、ブリテン島はノルマンディーに定着していたフランコ・ノルマン人の侵略を受ける。ノルマンディー公ウィリアムのイングランド征服(1066年)である。さらに、フランスのアンジュー公アンリがイングランド王ヘンリー二世として即位すると、宮廷からは古英語が消え、上流階級ではフランス語が話されるようになる。語彙もゲルマン系とラテン系が並立し、豊かさを増す(「終える」はゲルマン系が「to end」でラテン系が「to finish」)。チョーサーの『カンタベリー物語』はフランス語の影響で古英語から脱却を果たしたミドル・イングリッシュである。

完訳 カンタベリー物語〈上〉  / チョーサー
完訳 カンタベリー物語〈上〉
  • 著者:チョーサー
  • 翻訳:桝井 迪夫
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(350ページ)
  • 発売日:1995-01-17
  • ISBN-10:4003220315
  • ISBN-13:978-4003220313
内容紹介:
花ほころび、そよ風吹きそめる四月、サザークの旅籠で出合った二九人の巡礼たち。身分も職業もさまざまな彼らが、カンタベリーへの道中、順番に話をすることになって-中世イギリス最大の詩人チョーサーの代表作。バーン=ジョーンズの挿画を収録。

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だが、結局、英語はフランス語に駆逐されることなく、十四世紀末には共通言語として復活する。ペスト流行と百年戦争の影響で「フランス語の日常的な口語の使用が加速度的に衰退」したからである。やがて英語は印刷術の普及とギリシャ語・ラテン語への回帰運動、次いでシェークスピアの登場などで純化し、アメリカに渡って世界語となる。

この例からもわかるように、地域方言が民族共通語に成長していくには、その言葉を文学作品に結晶させた文学者の存在が不可欠である。ダンテの『神曲』で文学言語となったトスカナ方言は、十九世紀にミラノの出身のマンゾーニによって再発見され『婚約者』として結晶し、イタリア共通語となる。同じく、イベリア半島の方言だったカスティーヤ語はセルバンテスの『ドン・キホーテ』でスペインの統一言語の地位を得る。

神曲 地獄篇 / ダンテ
神曲 地獄篇
  • 著者:ダンテ
  • 翻訳:平川 祐弘
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(509ページ)
  • 発売日:2008-11-20
  • ISBN-10:4309463118
  • ISBN-13:978-4309463117
内容紹介:
一三〇〇年春、人生の道の半ば、三十五歳のダンテは古代ローマの大詩人ウェルギリウスの導きをえて、生き身のまま地獄・煉獄・天国をめぐる旅に出る。地獄の門をくぐり、永劫の呵責をうける亡者たちと出会いながら二人は地獄の谷を降りて行く。最高の名訳で贈る、世界文学の最高傑作。第一部地獄篇。

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婚約者   / マンゾーニ
婚約者
  • 著者:マンゾーニ
  • 翻訳:尾方 寿恵,フェデリコ・バルバロ
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(307ページ)
  • 発売日:1946-12-01
  • ISBN-10:4003270517
  • ISBN-13:978-4003270516
内容紹介:
上, 中巻3刷 下巻2刷

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ドン・キホーテ〈前篇1〉  / セルバンテス
ドン・キホーテ〈前篇1〉
  • 著者:セルバンテス
  • 翻訳:牛島 信明
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(431ページ)
  • 発売日:2001-01-16
  • ISBN-10:4003272110
  • ISBN-13:978-4003272114
内容紹介:
騎士道本を読み過ぎて妄想にとらわれ、古ぼけた甲胄に身を固め、やせ馬ロシナンテに跨って旅に出る。その時代錯誤と肉体的脆弱さで、行く先々で嘲笑の的となるが…。登場する誰も彼もがとめどもなく饒舌な、セルバンテスの代表作。

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では「ロマンス語の中で最もゲルマン語的」という特徴を持つフランス語はどのように変化してきたかというと、驚くなかれ、ガリア人(フランスのケルト人)以前の先住民リグリア人の語彙を残しているという。何々県人というときに使う「‐asque」や「‐osque」という接尾語がそれで、セーヌ川やロワール川などの地名もケルト以前の民族の言語の名残である。

ガリア人はローマに征服されるとラテン語に同一化したが、次に侵入したフランク族はゲルマン語を強要するのではなく、逆に俗化したラテン語を自分たちの言葉とした。こうして生まれたのがフランス語だが、そのとき子音の「h」の発音に影響が出た。フランス語では、存在しないも同然に扱う無音の「h【les hommes】」と、発音はしないが連音や省略されずに存在を主張する有音の「h【les halles】」とを区別するが、これは「ガリアに入ったラテン語が起源の語では、この子音ははじめから発音されなかったのに対し、ゲルマン語起源の語では、子音字hは【h】と発音されていたからである」。

バスク語のようなマイナー言語にまで目配りのきいた素晴らしい一般書。言語クイズのコラムも好奇心を刺激する。言語好きには欠かせない一冊。(平野和彦・訳)
西欧言語の歴史 / アンリエット・ヴァルテール
西欧言語の歴史
  • 著者:アンリエット・ヴァルテール
  • 翻訳:平野 和彦
  • 出版社:藤原書店
  • 装丁:単行本(588ページ)
  • 発売日:2006-09-01
  • ISBN-10:4894345358
  • ISBN-13:978-4894345355
内容紹介:
ギリシア、ケルト、ラテン、ゲルマン――民族の栄枯と軌を一にして盛衰を重ねてきた西欧の諸言語。数多存在する言語のルーツ、影響関係をつぶさにたどり、異なる言語同士の意外な接点を発見しながら、かけがえのない「ことば」の魅力を解き明かす欧米のベストセラー、ついに完訳!

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2006年10月22日

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