講談社エッセイ賞(第24回)
受賞作=立川談春「赤めだか」/他の選考委員=東海林さだお、坪内祐三、林真理子/主催=講談社/発表=「小説現代」二〇〇八年九月号ささやかな遺恨
いつだったか立川談春氏が「en―taxi」誌上で、〈井上ひさしさんは勘三郎(かんざぶろう)さんの出演台本が書きたくて、中村屋(なかむらや)にお世辞べったり擦(す)り寄っているという噂だ。〉と発言したことがある。わたしはどんな俳優にも、そして一度たりとも「書かせてちょうだい」などと媚(こび)を売ったことはない。それほど落ちぶれてはいないからだ。さっそく編集部に抗議したが、けんもほろろの門前払い。一日半くらい腹をたてていたことがある。つまりこの『赤めだか』を読む前は、根も葉もない噂を喋り散らして他人の名誉を傷つける男が書いた本という、ささやかな遺恨(いこん)が評者(わたし)にはあったことにある。読み進めながら、なにか冷え冷えしたものを感じた。この人の心の芯は燃えていない。けれども、この冷たい客観性が、じつはこの好著を生み出した原動力になっているところがおもしろい。
隠れた主役は談春氏の師匠立川談志。毎朝三十分近く歯を磨きつづけ(口が商売道具だから当然だが)、マヨネーズがきらいで、稲庭(いなにわ)うどんは値段が高いから好き。なによりも海が好きで〈一度入ったら二、三時間は平気で出てこない。〉などなど、不世出のはなし家談志の、ふしぎな、しかしむやみにおもしろい日常が読む者の胸にびしびしと入り込んでくる。そしておしまいの数十行……師匠小(こ)さんに背いた形になった談志は、その師匠の葬式に出なかったが、そのときの言葉はこうである。〈「談志(オレ)の心の中には、いつも小さんがいるからだ」〉
このくだりで作者はそれまで塞(せ)き止めておいた感情を一気に放出する。冷たかった筆が白熱する。みごとな計算であり芸であり、一編のオチである。評者のささやかな遺恨もこのときに消えた。おめでとう。
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