選評

『生きてるものはいないのか』(白水社)

  • 2017/09/29
生きてるものはいないのか / 前田 司郎
生きてるものはいないのか
  • 著者:前田 司郎
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(171ページ)
  • 発売日:2008-04-01
  • ISBN-10:4560094012
  • ISBN-13:978-4560094013
内容紹介:
あやしい都市伝説がささやかれる大学病院で、ケータイ片手に次々と、若者たちが逝く-。とぼけた「死に方」が追究されまくる脱力系不条理劇。第52回岸田國士戯曲賞受賞作品。

岸田國士戯曲賞(第52回)

受賞作=前田司郎「生きてるものはいないのか」/他の候補作=青木豪「Get Back !」、赤堀雅秋「その夜の侍」、桑原裕子「甘い丘」、タニノクロウ「笑顔の砦」、本谷有希子「偏路」、矢内原美邦「青ノ鳥」、山岡徳貴子「静物たちの遊泳」/他の選考委員=岩松了、鴻上尚史、坂手洋二、永井愛、野田秀樹、宮沢章夫/主催=白水社/発表=二〇〇八年二月

破天荒な快作

演劇的な仕掛けと構造――これがなければ、いかにその台詞が優れていても、どれほどその物語がおもしろくとも、それは演劇ではなく、たぶんそれは小説かなにか他のものにちがいない。これが評者が戯曲を読むときの最大の関心事である。

『偏路』(本谷有希子)は、この作者にしては珍しく演劇的仕掛けを掛け損ねていた。才智と未来に富むこの作者の名誉のために言い直すなら、「ここにすべてを他人のせいにしてしまう人たちがいる。ところが劇の展開につれて、それまでとは一転して、彼らは責任を取ることを競い合う」という揺さぶりはすばらしいのだが、その秀抜な思いつきが意味の上だけで終始していて、舞台の上にはっきりと具体化していたとは言いがたい。揺さぶりが構造にまで達しなかった。

偏路 / 本谷 有希子
偏路
  • 著者:本谷 有希子
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(159ページ)
  • ISBN-10:4103017732
  • ISBN-13:978-4103017738
内容紹介:
東京で女優になる夢を諦めようとする娘と、どこまでも暴走する父(おとん)が、親戚宅で繰り広げるスリリングかつハートウォーミングな一週間。小説『グ、ア、ム』と対をなす、劇作家・本谷有希子の"善意"に満ちた最新戯曲。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

事情は、『笑顔の砦』(タニノクロウ)でも同じだ。二つの部屋の同時進行という、良果(りょうか)の期待できる劇的仕掛けが用意されてはいたが、その発動が遅すぎた。発動までの舞台の「空気」を、作者は散文詩のような文体で懸命に表現しようと試みるが、それが生みだしたのは、残念ながら、劇の「空転」だけだった。痴呆症患者の老婆と、彼女を介護するふしぎな女の心理と行動には凄味があって、そこに紛れもなく作者の才能が現われていたが、とにかく仕掛けの時機が遅かった。

散文詩や小説の地の文のような非演劇的言語にたよる癖は、『青ノ鳥』(矢内原美邦)にも現われていて、たとえば、次のようなト書きがしばしば出てくる。

〈高校生のころ普通科に進学するか芸術科に進学するかで迷っていたとき、母親に「普通科がいいよね」とあっさりいわれて普通科に進学してしまった、あの頃の私を思い出してのダンス〉

文としてたしかに成立しており、おもしろくないこともないが、これが果たして舞台で成立するだろうか。この戯曲には、「目の前には無限の未来があるが、その未来は無限に閉ざされている。すなわち世界はすでに終わっている」という卓抜で壮大な主題が仕掛けられており、一〇メートル四方のことにしか関心がないような最近の戯曲の風潮にうんざりしていたところだから大いに好感を抱いたが、巨おおきな世界を示すときは、簡潔に書くにかぎる。言葉の量が増すたびに肝心の「世界」が遠ざかって行くというところに、劇的文体のむずかしさがある。過剰な言葉がせっかくの主題をすっぽりと埋めてしまった。

『Get Back !』(青木豪)には、冒頭の劇(はげ)しい場面に、劇の流れがどの時点でどのように追いつくかというおもしろい仕掛けが仕込まれている。しかしこの仕掛けは危険だ。よほどうまく企まないと、劇がちっとも前進しないからだ。しかも温(ぬる)い内容と台詞のせいで(それ自体は気持のいい温さなのだが)、冒頭の劇しい場面に追いつきかねている。劇の後半が冒頭の場面に追いつき、追い越してしまうという力感を持ち得ないと、この趣向は単なる「作者の思い出し作業」になってしまう。作者には、もっと自分の発想を大切にしてもらいたかった。

『甘い丘』(桑原裕子)は、丘の上のサンダル工場の社員寮の四季を描きながら、「世界の変革は、まず自分のいる場所の変革から始まる」という主題を深めようとしている。まことに古典的な構造で、このところの演劇状況では、そのこと自体が演劇的仕掛けである。ときおり人物たちが激突して発熱し、対話にドライブがかかる場面もあって、作者が相当な演劇的膂力(りょりょく)の持ち主であることがよくわかる。さらにもう一つ、独創的な工夫が仕込まれていて、それは俳句教室の勉強の進み行きが、そのまま時間の経過を現わすという仕掛けだが、冬の季語を学ぶ場面で、師匠格の人物がこんなことを言う。

〈(冬の季語は)その他にも○○や○○、いろいろあります。〉

冬の季語などは調べればすぐわかることだし、わかればまたうまく使えるのに、○○で間に合わせるとは、怠惰というか、欲のない作者だ。こういう無欲さ(別名、甘さ)や、登場人物にむやみに難しい名前をつけてしまう強(こわ)ばりが退治できれば、作者の未来は明るいだろう。それだけの膂力のあるひとだ。

『静物たちの遊泳』(山岡徳貴子)は、古びた団地の、小公園を挿(はさ)んで向かい合う部屋を合わせ鏡にして進行するという優れた仕掛けをもっている。台詞の文体も手堅く、さらに劇の進行につれてもう一つの仕掛けが現われてくるという工夫も魅力的だった。未読の読者のために、その工夫をここに書くことはできないのだが。

『その夜の侍』(赤堀雅秋)には、いたるところに力がみなぎっている。登場人物たちの間に張り巡らされた「暴力をふるう/ふるわれる」という関係性の網もみごとな仕掛けだ。さらに舞台を自在に使ってやろうという演劇的な志にも敬意を抱いた。それでいて、簡単に「暗転」するところなどは、なかなか愛嬌のある戯曲でもある。

『生きてるものはいないのか』(前田司郎)では、はるか遠景にあった一大怪事件が、近景にいる十八人の登場人物たちのところへ、ぐんぐん近づいてくるという律動的な仕掛けがすばらしい。しかもその接近は、登場人物たちの連続的な怪死事件によって観客に知らされ、結局、結尾(けつび)では全員が死んでしまうのだから、徹底しているというか、観客をばかにしているというか、とにかく破天荒な戯曲である。「舞台の上で登場人物はよく死ぬが、それを演じている俳優は決して死んではいない。そればかりかカーテンコールになると、嬉々として舞台に現われる」という演劇最大の約束事の一つを軽々と手玉にとったのは、天晴れである。この作者については「脱力系」という噂があるようだが、じつは相当にしたたかな、尖んがった力量(うで)のあるひとだ。選考会で議論するうちに、やはりこの舞台力学を玩具にした破天荒さを買うべきだと決めた。

【この選評が収録されている書籍】
井上ひさし全選評 / 井上 ひさし
井上ひさし全選評
  • 著者:井上 ひさし
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(821ページ)
  • 発売日:2010-02-01
  • ISBN-10:4560080380
  • ISBN-13:978-4560080382
内容紹介:
2009年までの36年間、延べ370余にわたる選考会に出席。白熱の全選評が浮き彫りにする、文学・演劇の新たな成果。

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生きてるものはいないのか / 前田 司郎
生きてるものはいないのか
  • 著者:前田 司郎
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(171ページ)
  • 発売日:2008-04-01
  • ISBN-10:4560094012
  • ISBN-13:978-4560094013
内容紹介:
あやしい都市伝説がささやかれる大学病院で、ケータイ片手に次々と、若者たちが逝く-。とぼけた「死に方」が追究されまくる脱力系不条理劇。第52回岸田國士戯曲賞受賞作品。

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