選評
『三月の5日間』(白水社)
岸田國士戯曲賞(第49回)
受賞作=岡田利規「三月の5日間」、宮藤官九郎「鈍獣」/他の候補作=小川未玲「もやしの唄」、長塚圭史「はたらくおとこ」、はせひろいち「サイコの晩餐」、東憲司「しゃんしゃん影法師」、平田俊子「れもん」、前田司郎「いやむしろわすれて草」/他の選考委員=岩松了、太田省吾、岡部耕大、竹内銃一郎、野田秀樹/主催=白水社/発表=二〇〇五年二月二作を推す
舞台の上に、ほかの形式ではとても表現できないような特別な時空間を創り出すこと。その特別な時空間に貫禄負けしないような強靭で生き生きした言葉を紡ぎ出すこと。そして、この二つがうねりながら一つになって、ふだんでは、「見ていても見えず、聞いているのに聞こえない」人間の真実を観客の前に提示すること。しかもその観客は一人や二人ではなく何百何千にも及ぶので、よほど強力なプロット進行を仕掛けないと、それらの人たちは一匹の巨大で生きた観劇共同体にはならないだろうということ……劇を書くということは、以上の難問を乗り越えるための苦役にほかなりません。これが自分で作品を書くときも、ほかの作品を読むときも、評者が頭のどこかにおいている物差しです。『鈍獣』(宮藤官九郎)は、基本になる時「現在」へ、回想による「過去」がぐいぐいと接近してくるという時間の扱いに力感が溢れていました。対話の積み重ねに速度があって、ギャグにも切れ味があり、ここには疑いもなく一つの言語世界が成立していました。そしてその世界の中から、人間の哀れなほどのおかしさが吹き出し、それでいて人間という存在への無限の讃歌も浮かびあがってくるという、近ごろ出色の作品です。
『三月の5日間』(岡田利規)は、遠くの戦争と、近くの、目の前のラブアフェアとを、絶妙の言語的詐術で対比させることに成功しました。登場人物たちの話す内容が微妙にズレながら進む展開も、背筋がゾクゾクするほどおもしろく、一見平凡と見えるプロット進行の下に、遠くの虐殺よりも目の前の性行為の方が重要という人間の業のようなものが浮かび上がってくるところに凄味がありました。
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