書評

『パースの城』(国書刊行会)

  • 2017/09/21
パースの城  / ブラウリオ・アレナス
パースの城
  • 著者:ブラウリオ・アレナス
  • 翻訳:平田 渡
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(232ページ)
  • ISBN-10:4336030561
  • ISBN-13:978-4336030566

ブラウリオ・アレナス(Braulio Arenas 1913-1988)

チリの作家。チリにおけるシュルレアリスム運動の中心人物として、自ら創刊した文芸誌〈マンドラコラ〉(1938~41)などに詩、エッセイ、政治コメントを発表。詩集に『世界とそれに似たもの』(1940、未訳)、『記憶を助ける女』(1941、未訳)、『幽霊屋敷』(1952、未訳)などがある。散文の分野でも『パースの城』(1969)、『情熱の虜』(1975、未訳)、短篇集『ノーマンズ・オーシャン』(1951、未訳)などを残している。

introduction

ここまで物理的なボリュームも大きく、物語のスケールも壮大な作品ばかり取りあげてきた。しかし、文学の衝撃度は、けっして大きさで決まるものではない。ここでとっておきの傑作を紹介しよう。ブラウリオ・アレナスの『パースの城』だ。この本を読んだときの驚きは、いまだに忘れられない。予備知識のないままに手にとり、ページをめくったとたんに、強く引きずりこまれた。シュルレアリスムはなによりも詩であり、散文作品のかたちはとりにくいものだが、ここには奇蹟的な完成形があった。比肩しうるとしたら、ジョイス・マンスールの『充ち足りた死者たち』とルネ・ドーマルの『類推の山』だが、前者は物語をほとんど放棄しているし後者は未完のまま途絶している。やはり『パースの城』は貴重な作品なのだ。

▼ ▼ ▼

夢文学の傑作を選べと言われれば、迷いはしない。即座に、ボルヘスの「円環の廃墟」と、内田百閒の「冥途」をあげる。ただし、どちらか一篇だけに絞るとなると、それは難しい。まるで違うタイプの作品だからだ。というよりも、小説で夢を表現することを突きつめていくとき、ふたつの可能性があり、それぞれを純化したかたちがこの両作品なのだ。ボルヘスは「私は夢を見ているのか、それとも見られているのか」という決定不能性を、徹底して作品の構造とした。いわば夢についてのトポロジーを語っているのである。それに対して百閒は、夢の手ざわりと固有の因果律を、希釈することなしに綴ってみせる。ついには、作品が夢そのものになってしまうかのようだ。

夢を扱う小説は、つまるところ「円環の廃墟」と「冥途」を両端とする広がりのなかに位置づけられる。その中心部、つまりボルヘスからも百閒からも等距離のあたりに、ブラウリオ・アレナスの『パースの城』がある。

「円環の廃墟」でも「冥途」でも、なにを夢見ているかはあまり問題ではなく、重要なのは夢の構造であり、夢の感触だった。それは『パースの城』でも変わらないはずだが、随所に撒きちらされたゴシックロマンス風の大道具・小道具が、この夢に陰影を添えていることは否定できない。舞台となるのは十二世紀、陰鬱にそびえる城と、氷に閉ざされた荒野、重苦しく波が寄せる海岸。主人公のダゴベルトは、夢のなかで見知らぬ娘にみちびかれて、この世界にやってきたのだ。

その夢のきっかけとなったのは、新聞の片隅に載った死亡記事だった。彼が子どものころによく遊んだ少女ベアトリスの訃報。幸せだったむかし、ダゴベルトは彼女とともに、さまざまな冒険を空想しながら通りや海岸を散歩し、映画館に足しげくかよった。櫃のなかにカーニヴァルの仮装着や虫食いのあるアルバムを見つけたこともあった。だが、彼女の父カルロス・パース技師は担当の工事を終え、家族ともども首都へ引きあげていった。しばらくのあいだ、降誕祭や誕生日のカードが届いたけれど、やがてそれも途切れた。あのベアトリスが死んでしまった。死亡記事を手にダゴベルトは、彼女の想い出をあてどもなくたどって涙にくれる。泣きつかれたあげく、長椅子――この長椅子が作中で重要な役割を果たす――に横たわると、眠りが彼をどこかへとつれていく。

夢のなかで最初に出会った娘は、ベアトリスのようなのだが、はっきりしない。ダゴベルトは彼女に問いただそうとしながらも、「ぼくがひとこと声をかけたら、なにか恐ろしい事件がおこるかもしれない」と、思いとどまる。青年のこの判断はまったく脈絡がない。すでに現実からかけはなれた論理が作用しているのだ。だがその一方で、彼は自分が夢を見ていることを、心の片隅で、ぼんやりと、ときにははっきりと意識している。

われわれの若い主人公はそのわけをあれこれ考えてみた。けれども、これといった理由は思い浮かばず、頭が混乱するばかりだったので、考えるのが億劫になり忘れることにした。しかし、そうした些細なことが積もり積もって、ついにはもつれた網のようになり、自分の夢がその網にからまって、動きがとれなくなるかもしれないと感じていた。

夢の粘性にからめとられながらも、それを覚醒した精神でながめている。そんな宙ぶらりんの意識を通して描かれる物語だが、いちおう一貫したストーリーはある。それは、いにしえの物語。ゴシックロマンスよりも、もっとさかのぼった神話=原型だ。

(次ページに続く)
パースの城  / ブラウリオ・アレナス
パースの城
  • 著者:ブラウリオ・アレナス
  • 翻訳:平田 渡
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(232ページ)
  • ISBN-10:4336030561
  • ISBN-13:978-4336030566

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
牧 眞司の書評/解説/選評
ページトップへ