解説
『『室内』40年』(文藝春秋)
《室内の山本夏彦》と《室外の山本夏彦》
山本夏彦は、まことに食えない老人である。その証拠をひとつあげよう。この本のタイトルになっている『「室内」40年』の『室内』とは、もちろん山本夏彦が四十年(プラス五年)主宰しているインテリアの雑誌である。インテリアの雑誌だから『室内』、とだれしも思う。そして、なんと素っ気なく簡潔なタイトルであることよ、いかにも「猫を猫と呼ぶ」山本夏彦らしいと感心する。
ところが、これがちがうのだ。この本の二百二十七ページを見ると「『青い鳥』の作者メーテルリンクに『室内(ランテリウール)』という脚本がある(わが『室内』はこれに因んで命名した)」とちゃんと書いてある。そこで、もう一度、「へえー、メーテルリンクねえ」と多少ともメーテルリンクを知っている人は感心する。案外、爺さん、モダニストだったんだ、そういえば、戦前は、無想庵についてフランスに行っていたんだもんな、と思う。
だが、たいていはそこまでである。なるほどメーテルリンクの『室内』に因んでいるんだとは思うが、では、その『室内』とはどんな芝居で、そのどこに山本夏彦がこだわりをもっているかなどというところまでは詮索しようとは思わない。
しかし、私は執拗な性格で、おまけにフランス文学者の肩書きを掲げているので、その他人がめったにやらないことをやってみた。つまり、メーテルリンクの『室内』を読んでみたのである。そして、わかった。山本夏彦はたんにタイトルをいただいたばかりか、彼独自の死生観のようなものまで、このメーテルリンクの『室内』から拝借しているのである。
では、『室内』とはどんな戯曲なのか。
古びた庭の中に建つ一軒屋。窓に明かりが灯って、室内で静かな夕べをすごす一家の様子がはっきりと見える。父は暖炉のわきの肘掛け椅子に座り、母は眠っている幼子を抱いて、テーブルに片ひじをついている。若い娘が二人、刺繍をしながら話に興じている。ようするに絵に描いたような幸せな一家の団巣である。
ところが、舞台手前には、この《室内》を暗い庭からのぞいている老人と見知らぬ男がいる。
じつは、二人は、一家の娘が溺死したことを知らせにやってきたのだが、《室内》を見てしまったがために、言い出しかねて、庭でひそかに会話をかわしているのである。
戯曲の物語の構造はこれだけである。つまり、いかにも幸せそうな一家の《室内》と、やがて、その一家にもたらされるであろう不幸な結果をあらかじめ知ってしまっている《室外》の二人の男の対比。事実、老人はしばし躊躇したあと、ドアをノックし《室内》に不幸な知らせをもたらす。その様子を見知らぬ男が《室外》から、まるで無言劇を見るようにじっと見守っている。そして最後にポツリという。「子供は目を覚さなかった」と。
この、人生の修羅場である《室内》と、それをひどく突き放して見つめている見知らぬ男の《室外》。それはあたかも、人にはとうてい語り得ないような浮き沈みを経験しながら、なにもかもぐいと呑み込んで《室内》に押し込め、これを《室外》から、赤の他人の目で楽しそうに眺めている山本夏彦という人間のこころの構造を反映しているようだ。そう、山本夏彦には、《室内の山本夏彦》と《室外の山本夏彦》の二人がいるのだ。
*
本書は、インテリア雑誌『室内』が昭和三十年(一九五五)に創刊されて以来、四十年に及ぶ歴史を、編集兼発行人が社員の若い女性に語るというかたちをとった「社史」ではあるが、そこで語られる方の山本夏彦、つまり《室内の山本夏彦》はなかなかピカレスクな人物だ。それだけを取り出すなら、立志伝中の人のように、戦中戦後の混乱を巧みにくぐりぬけてきた「悪党」であるといえる。たとえば、戦時中の厳しい紙の統制下にあっても、まんまと当局の裏をかいて『素描』という雑誌を出版する次のようなエピソード。
法は破るためにあります。私は「紙持ち」で刷らせることを思いついた。(中略)実は[紙は]印刷屋が持っていたんです。ポスター、社史、名簿、以下たいていの印刷物は、印刷屋にまかせて「紙持ち」で刷らせる。(中略)ところがその頃はもうカレンダーやポスターなんかの注文はない。社史なんて当分あとまわしです。そうするとせっかくの配給の使い途がない。(中略)かねて私はそれに目をつけていました。そこで印刷屋に紙持ちでやってくれないかともちかけると二つ返事でやってくれるんです。
戦後になってから、雑誌『室内』の前身となる『木工界』を創刊するまでの歩みも、いかにも山師らしいピカレスクな着想に満ちている。
前にも書いたけれど戦争直後の「週刊ヤミ値」なんてプランはね、いま埼玉県千葉県では米が、ミソが、醤油がいくらと印刷して、週刊誌といったって官製ハガキ一枚ですから紙には困りません。それと「貸家貸間売家情報」。新聞の案内欄の「土地家屋」に出てる広告を、はじめは失敬してね転載するんです
このあたり、剽窃のダイジェスト新聞からスタートしたフランスの新聞王ジラルダンもかくやのアイディアマンぶりである。もっとも、これらはアイディアだけに終わったようだが、次の『木工界』の創刊にむけての図面集の新聞広告のアイディアは実行に移されたものである。
山本 いっぽう新聞広告しました。これははじめ失敗でした。職人は新聞の第一面に自分たちに関係ある雑誌の広告が出てるなんて思いもよらない。新聞とってない人はないが、見れども見えないんです。さすがの「ダメの人」も青くなった。こんなはずはないとひと晩考えてハタと思いあたった。「巌本眞理リサイタル」とか「チチキトク スグカエレ」とか書いた細長い広告があるでしょう。あそこへ出した。
――社会面の一番下のところですね。
山本 あれは特別な欄なんです。そこへ「建具(たてぐ)」と大きく書いて出した。大きくったって、せいぜい五行くらい。すごい反響でね。建具の職人を募集しているとでも思って見るんでしょう。「建具」の大文字の下に「雛型」と書いてある。小さく(笑)。あるいは図集。(中略)そうして集まった読者が八万人、それに向けて「木工界」を創刊したんです。
どうして、「ダメの人」どころか、「たいした人」ではないか。多少文体を変えれば、そのまま日経新聞の『私の履歴書』に載るような創業社長の創意工夫自慢である、
ところが、これが山本夏彦の口から語られると、企業家の自伝にあるような生々しさが消えて、ほとんど落語の世界に近づく。なぜかといえば、ピカレスクな山師である《室内の山本夏彦》を語っているのは、そうしたことすべてを引っくるめて世の中の空しさを悟りきっている《室外の山本夏彦》、つまり「ダメの人」山本夏彦だからである。
この二重性と両者の距離の感覚が山本夏彦の文章の独特の魅力になっているのである。もし、《室内の山本夏彦》だけだったら、それは『私の履歴書』になってしまうだろう。反対に、《室外の山本夏彦》のみなら、現実とかかわりのない浮世離れした爺さんの直言にすぎないかもしれない。だが、さいわいなことに、この二人の山本夏彦はわかちがたく結びついていて、フランス共和国のように「一にして不可分」な存在になっているので、われわれは、《室内の山本夏彦》を《室外の山本夏彦》を介して見ることができるのである。
さらにいえば、トンチンカンな受け答え(その自覚のなさが素晴らしい)をする女子社員との問答の呼吸が、クマ公ハチ公と長屋の御隠居のそれのようで楽しく、二人の山本夏彦の二重性と距離を効果的なものにしている。
「社史」というかたちをとった自己分析の本である。
【この解説が収録されている書籍】