書評
『レストレス・ドリーム』(河出書房新社)
「難解な」小説の「やさしい」読み方
最近、続けて、「笙野頼子の小説はどう読んだらいいのかわかんないよ」と相談を受けたっけ。もちろん、そんな質問をされた場合、「小説は(小説だけじゃないけど)どんなふうに読んでもいいんだよ」とか「難解な小説なんてないさ。外国語で書かれてるからわからないとか、知らない言葉があってその意味がわからないとかいうことはあるけど、文章の意味がわかるんだったらそれでいいの」と答えるのは、論理としては正しい。でも、世の中、正しいことばかり言って悦に入ってりゃいいってもんじゃないだろう。言ってることは正しくて、それでもって超不親切ってこともあるわけだものね。だから、ぼくはこんなふうに説明することにしたのだった。
で、何を読んだんだい? ああ、『レストレス・ドリーム』(河出書房新社)だね。そうか。いわゆる「難解な」小説っていうのは一杯あるけど、これはそういうのとは違うんじゃないかねえ。「今世紀最大の悪夢」というコピーにビビッたんじゃないのかい。夢の話はそれ自体曖昧模糊としているのに、この小説ときたらはじめっから終わりまで夢の中(のようなもの)の出来事なんだからね。じゃあ、ぼくの「読み方」をちょっと教えてあげよう。
まず最初にこっちから質問をするから、答えてくれないかな。いいかい、
「小説とは何でしょう?」
困った顔をするなよ。何十年だか、何百年だか知らないが、この問題については無数の人たちが論争してきて決着がついてないのに、素人のオレにわかるわけがないだろって?
いや、いや。ぼくは逆に、こんなに簡単な問題に答えられない方がどうかしてると思う。というか、すごく簡単に答えちゃった方がいいと思う。ぼくの答えはこうだよ、
「ある世界があって、そこにはなにか法則がある。けれども、その法則がなぜあるのかは誰も知らない」ということを書いているのが小説なんだ。
言葉を使って芸術してる分野は他にもあるけど、小説とは役割がちょっと違う。たとえば、カフカは、
「朝起きたら、セールスマンが虫に変わってしまうことがある」法則のある世界のことを書いたけど、その法則がなぜあるのかは誰も知らない。そして、そのなぜあるのかわからない法則を知ろうとしてもがく様子が小説なんだ。こう言うと、きみは、カフカは現実をありのままに書いたわけじゃないからわかるが、現実をなぞっているたいていの小説はどうなんだと言うだろう。いや、まったく同じことなんだ。ぼくたちが生きているこの世界にはいくつも奇妙な法則がある。そしてその法則に逆らったり、従ったりしながらぼくたちは生きている。だが、その法則がなぜあるのかやっぱり誰も知らないじゃないか。
『レストレス・ドリーム』は全編がひとつの夢であり、またひとつのゲームの中の出来事であると見なされている。これ以上、小説的な世界はないんじゃないかな。
主人公は夢の中に、もしくはゲームの中にいる。そしてそのことを知っている。ゲームだからもちろん規則(法則)がある。ここで大切なのは、主人公は規則(法則)が何なのかとくよくよ悩んで立ち止まったりせず、その規則(法則)を使いこなそうとしていることだ。それはとても小説的であり、かつ、きわめて現実的な態度なんだ。そして、ぼくたちもそのようにして生きているのだとしたら、どうしてこの小説を「難解」と言えるだろう。
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