書評

『夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』(早川書房)

  • 2017/10/06
夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語  / カズオ・イシグロ
夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語
  • 著者:カズオ・イシグロ
  • 翻訳:土屋 政雄
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:文庫(320ページ)
  • 発売日:2011-02-04
  • ISBN-10:4151200630
  • ISBN-13:978-4151200632
内容紹介:
ベネチアのサンマルコ広場で演奏するギタリストが垣間見た、アメリカの大物シンガーとその妻の絆とは-ほろにがい出会いと別れを描いた「老歌手」をはじめ、うだつがあがらないサックス奏者が一… もっと読む
ベネチアのサンマルコ広場で演奏するギタリストが垣間見た、アメリカの大物シンガーとその妻の絆とは-ほろにがい出会いと別れを描いた「老歌手」をはじめ、うだつがあがらないサックス奏者が一流ホテルの特別階でセレブリティと過ごした数夜を回想する「夜想曲」など、音楽をテーマにした五篇を収録。人生の夕暮れに直面して心揺らす人々の姿を、切なくユーモラスに描きだしたブッカー賞作家初の短篇集。

人を隔てる「壁」、滑稽さで描く

若い頃ミュージシャンを目指したという作者初の短編集だ。

各編には色々な「音楽家」が登場する。往年の大物歌手、無名のバックプレーヤー、夢を諦(あきら)めてスターと結婚した女……。そこに、夫婦、病院の患者同士、師弟など、こじれたりねじれたり、一風変わった男女関係が絡む。元共産圏のギタリストは、ベネチアで舟に乗って妻にセレナーデを捧(ささ)げるという米国男に伴奏を頼まれ、定職のないジャズ好きは、裕福な友人夫婦の仲直りのため夫の引き立て役にされ、サックス奏者は売れるためにハリウッドで整形手術をする。短絡的と言えば言えるだろう。必死さゆえの人間の滑稽(こっけい)さを、作者はドラマチックな起伏を作らず素っ気なく描く。よく出来たオチもない。むしろ長編の呼吸や余韻に近く、一編ごとに深い充足感が得られる。

しかし主題は男女間の危機や顛末(てんまつ)にあるのではない。ある意味、これは才能と才能がもたらす「壁」をめぐる物語集だ。才能があって成功した者しない者、なくても成功した者、才能の芽を守るだけで一音も弾こうとしない者、成功しても忘れられた者……。才能なる残酷なものは、様々な形で人と人を隔てる。本書には「アマデウスとサリエリ」の永遠のテーマがあり、真贋(しんがん)と成否の皮肉な関係が作用し、その奥で静かに描きだされるのは、動かしがたい世界観の異なりと意思の不通である。

作中には、「(境遇の違う)あなた(私)にはわからない」といった台詞(せりふ)がしばしば見られ、人々のすれ違いや戸惑いの理由が、文化圏、政治体制、生活階層などの違いにひとまず解(わか)りやすく置き換えられている。だが、人と人の間の溝がもっと深い処(ところ)に発しているのを、読者は察するだろう。

訳者によれば、いま各国からインタビューが殺到している作者は、自作がどう翻訳されるかが気になり、他言語で通じにくい書き方は避けるようになったと言う。異文化での意思不通、翻訳不能への恐れから創作に制約が生じないよう祈る。小説言語がもつべきは、共通性ではなく普遍性なのだから(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2009年7月)。

【この書評が収録されている書籍】
本の寄り道 / 鴻巣 友季子
本の寄り道
  • 著者:鴻巣 友季子
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(309ページ)
  • 発売日:2011-10-08
  • ISBN-10:4309020674
  • ISBN-13:978-4309020679
内容紹介:
翻訳家にして稀代の書評家、初の書評集。日本発&海外発のおすすめ240冊。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語  / カズオ・イシグロ
夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語
  • 著者:カズオ・イシグロ
  • 翻訳:土屋 政雄
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:文庫(320ページ)
  • 発売日:2011-02-04
  • ISBN-10:4151200630
  • ISBN-13:978-4151200632
内容紹介:
ベネチアのサンマルコ広場で演奏するギタリストが垣間見た、アメリカの大物シンガーとその妻の絆とは-ほろにがい出会いと別れを描いた「老歌手」をはじめ、うだつがあがらないサックス奏者が一… もっと読む
ベネチアのサンマルコ広場で演奏するギタリストが垣間見た、アメリカの大物シンガーとその妻の絆とは-ほろにがい出会いと別れを描いた「老歌手」をはじめ、うだつがあがらないサックス奏者が一流ホテルの特別階でセレブリティと過ごした数夜を回想する「夜想曲」など、音楽をテーマにした五篇を収録。人生の夕暮れに直面して心揺らす人々の姿を、切なくユーモラスに描きだしたブッカー賞作家初の短篇集。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

朝日新聞

朝日新聞 2009年7月26日

朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。

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