書評

『クララとお日さま』(早川書房)

  • 2024/04/17
クララとお日さま / カズオ・イシグロ
クララとお日さま
  • 著者:カズオ・イシグロ
  • 翻訳:土屋 政雄
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:文庫(496ページ)
  • 発売日:2023-07-19
  • ISBN-10:4151201092
  • ISBN-13:978-4151201097
内容紹介:
AIを搭載したロボットのクララは、病弱な少女と友情を育んでゆく。愛とは、知性とは、家族とは? 生きることの意味を問う感動作

AIが問う人間の本質

人間は太古から、死による己の消滅に対抗し、死への恐怖を紛らわせてきた。その手段の一つが、自らの似姿を造ることなのではないか。自分たちの生きた証を壁画に残し、人形(ひとがた)を作り、生のありようを歌や劇に模す。そうした素朴な模造は進化し、精緻な機械仕掛けの人形や人造人間が文学の中でも構想されてきた。

いま、現実社会でも、高性能ロボットやAI(人工知能)にある程度、人間の代わりをさせている。その一方、生命の誕生から、身体の機能拡張、延命処置に至るまで、生老病死をコントロールし、「命」や「人間」の定義を変えつつある。

『クララとお日さま』は全編がAIロボット単独のモノローグで展開する回想小説だ。舞台は、イギリスではないどこかの英語圏。AF(人工親友)と呼ばれる人間の子どもの遊び相手となる「クララ」が販売店に並んでいるところに「推定十四歳半」の病弱な女の子「ジョジー」がやってきて、クララにひと目惚れをする。

クララは高い観察・思考能力と豊かな感情を有し、つねに店のショーウィンドウや家の窓を通して世の中を見ている。これは、いくら高度な知能と情緒をもつAFでも、その視界と知覚は「窓」=フレームに囲われており、人間と酷似しながら本質的には自由のない存在であることを象徴するものだ。この落差の残酷さと哀切をイシグロは先行作『わたしを離さないで』のような静謐な筆致で描きだす。ほんの小さな眼差しの動きや姿勢が運命を物語る。ひたすら主人に尽くすクララの語り口は、『日の名残り』で過去を回顧する老執事を想起させもするだろう。

この国には、国民を二分する格差の壁が生じており、就学や就業にも大きな差がつく。ジョジーは優位な側におり、彼女と幼い頃から近くで育った少年「リック」は逆側にいる。この若い恋人同士はなにかを約束しあっているが、壁に引き裂かれそうになる。

ふたりの理屈っぽくありながら稚気を帯びた言いあいは、身分違いで結ばれない『嵐が丘』のキャシーとヒースクリフを彷彿させた。ジョジーとリックという名前や、丘の麓(ふもと)の野原にぽつんと建つふたりの家、ジョジーをリックが見舞う場面なども、そう感じさせた理由かもしれない。

大人たちはジョジーの病弱さを乗り越えるためにある策を講じるのだが……。ここで彼女を絵のモデルとする肖像画家が登場。ローティーンのジョジーとふたりきりで過ごす間、画家は彼女の姿を描かず、写真を撮るだけだ。村上春樹の『騎士団長殺し』の主人公と隣家の少女の設定にそっくりなのは、ひょっとしてイシグロの茶目っ気だろうか?

今の医学技術をもってすれば、人間の命を「継続」させることもできる。「生」の境界はどこにあるのか? もっといえば、個人はなにをもってその特定の個人となるのか? 「器」を取り換えてもある人の同一性は保持されるのか? AIに精神や信仰はあるのか?

イシグロは本作でも、私たちとは異質な存在の精神世界を書くことで、逆に、人間の最も普遍的な部分に触れようとしている。AFの生は私たちのそれとどこが違うのか? その問いに直面したとき、本作の最奥にある核心は姿を現し、だれもがそこに自分の姿を見いだしてはっとするだろう。
クララとお日さま / カズオ・イシグロ
クララとお日さま
  • 著者:カズオ・イシグロ
  • 翻訳:土屋 政雄
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:文庫(496ページ)
  • 発売日:2023-07-19
  • ISBN-10:4151201092
  • ISBN-13:978-4151201097
内容紹介:
AIを搭載したロボットのクララは、病弱な少女と友情を育んでゆく。愛とは、知性とは、家族とは? 生きることの意味を問う感動作

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2021年3月27日

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