書評

『忘れられた巨人』(早川書房)

  • 2017/10/06
忘れられた巨人 / カズオ イシグロ
忘れられた巨人
  • 著者:カズオ イシグロ
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:単行本(416ページ)
  • 発売日:2015-05-01
  • ISBN:4152095369
内容紹介:
奇妙な霧に覆われた世界を、老夫婦は息子との再会を信じてさまよう。ブッカー賞作家が満を持して放つ、『わたしを離さないで』以来10年ぶりの新作長篇! 著者来日、ハヤカワ国際フォーラム開催
映画化、舞台化され、世界的ベストセラーになった『わたしを離さないで』から、はや10年(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2015年7月)。カズオ・イシグロの新作長篇がついに翻訳された。昔気質の執事の半生を「信用できない語り手」の技法を用いて描いた『日の名残り』、上海租界を舞台にしたアンチ探偵小説『わたしたちが孤児だったころ』、クローンをモチーフにSF要素を取り入れた『わたしを離さないで』、音楽を主題にして軽妙な読み心地の短篇集『夜想曲集』など、ジャンルの境界をやすやすと飛び越える多彩な作風を示してきたイシグロが、今回チャレンジしているのは歴史ファンタジーだ。

舞台となるのは6世紀か7世紀、ゲルマン系のサクソン人やローマ人の侵攻を阻止し、ブリテン島を平定したといわれる半ば伝説の人物アーサー王がみまかった後のブリテン島(現在のグレート・ブリテン島)。主人公である老夫婦アクセルとベアトリスは、アーサー王と同じケルト系のブリトン人で、60人程度で形成される小さな集落で暮らしているのだけれど、なぜか周囲の住民から仲間はずれにされている。そんな不遇をかこっているせいもあって、夫婦は息子が暮らしている村へと旅立つことを決意するのだ。

ところが、緑豊かな景観を誇る現在のイングランドとはちがい、〈行っても行っても荒涼とした未墾の土地ばかり。岩だらけの丘を越え、荒れた野を行く道らしきものもないではないが、(略)川や沼地には冷たい霧が立ち込め、当時まだこの土地に残っていた鬼たちの隠れ潜む場所になって〉おり、悪鬼どころか妖精や竜まで跋扈。年老いた2人が旅するのに易しい世界ではない。おまけに、〈この国は健忘の霧に呪われて〉いて、人々はみな物忘れが激しく、夫婦もまた過去のことをよく思い出すことができないでいる。実は息子に関する記憶すらあやふやなのだ。

途中寄った村で知り合い、旅を共にすることになったサクソン人の戦士ウィスタンと、悪鬼にさらわれたところをウィスタンによって救出された12歳の少年エドウィン。アーサー王の甥で、王の命によって雌竜クエリグ退治に生涯を捧げている老騎士ガウェイン。アクセルとベアトリスも含めた5人の主要登場人物には、実は別の貌や目的がある。彼らばかりではない。一行が立ち寄ることになる修道院や竜のクエリグにもまた、表向きのそれではない役割があるのだ。〈健忘の霧〉をめぐる謎が少しずつ晴れていくうちに明らかになっていく、彼らの本当の姿とアーサー王伝説の真実。そんなアクロバティックな語りによってカズオ・イシグロが伝えようとしているのは、国家レベルの忘却が生むかもしれない今・此処の危機なのである。

一方でイシグロは、老妻のことを〈姫君〉と呼ぶアクセルと、夫に全幅の信頼を寄せるベアトリスの深い愛を丁寧に描いていく。その最たる象徴が、物語の最初と終わりのほうに置かれた、基本的には一人で渡り一人で暮らさなくてはならない、ある島をめぐるエピソードだ。

一生を分かち合い、並外れた強い愛情で結ばれた男女は、孤独な島暮らしの心配をせずに島に渡れるという話でした。そういう二人は、それまでの人生でしてきたように、変わらず二人一緒の生活を島でもつづけられる、と

この言葉から、『わたしを離さないで』中の重要なエピソード、クローンの子どもたちが信じた切ない噂話を思い出す読者は多いのではないか。前作のテーマが、10年の後、新作の中で再び美しい音色を響かせる。イシグロ作品の愛読者にとって、とりわけ嬉しい1作ともいえるのだ。

【新版】
忘れられた巨人  / カズオ イシグロ,Kazuo Ishiguro
忘れられた巨人
  • 著者:カズオ イシグロ,Kazuo Ishiguro
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:文庫(496ページ)
  • 発売日:2017-10-19
  • ISBN:4151200916
内容紹介:
遠方の息子に会うため老夫婦は村を出た。戦士、少年、老騎士……様々な人々に出会いながら、ふたりは謎の霧に満ちた大地を旅する

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

忘れられた巨人 / カズオ イシグロ
忘れられた巨人
  • 著者:カズオ イシグロ
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:単行本(416ページ)
  • 発売日:2015-05-01
  • ISBN:4152095369
内容紹介:
奇妙な霧に覆われた世界を、老夫婦は息子との再会を信じてさまよう。ブッカー賞作家が満を持して放つ、『わたしを離さないで』以来10年ぶりの新作長篇! 著者来日、ハヤカワ国際フォーラム開催

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