三〇歳で終わる生涯、ヨークシャーの荒野から離れたことがなく、しかも一度も恋愛をしたことがない厳格な牧師の娘は、おのが想像のなかでヒースクリフという悪人をこしらえた。サドの作品の登場人物にもなれるこの男の悪行をつぶさに書き、しかもヒロイン、キャサリンには「わたしはヒースクリフよ」といわせ、一緒に過ごした少女時代から破滅に至るまでこの男なしにはいられない運命を与える。敬虚で、道徳的であるということには裏がある。「世界でもっとも孤独な人」を愛することが、キリストへの愛につながるという信仰からすれば、ヒースクリフに対するキャサリンの愛、ブロンテの悪に対する執着は説明できるかもしれない。苦悩にさいなまれ続ける限り、祝福は近い。荒涼たる嵐が丘にしがみつくこと自体が、キャサリンにとっての唯一の救済だとするならば、さらに彼女を追い詰めるヒースクリフの暴力は僥倖に転化するのだ。拾われて嵐が丘に連れてこられ、やがて共同体の破壊者にして、収奪者になるヒースクリフとキャサリンの関係は、アングロ・サクソンのヒロインとヒスパニックの男とのあいだの性的妄想がパターンになっているハーレクイン・ロマンスの原型でもある。ヒースクリフのようなよそ者に妻や娘を寝取られてしまうのではないか、という恐怖が、アメリカ人のナショナリズムの根源にあるのではないか。
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