書評
『女うた男うた〈2〉』(リブロポート)
たとえばテーマは「嫉妬」。歌人道浦母都子と俳人坪内稔典とが、それぞれ句歌を掲げる。
そして、それぞれが「嫉妬」にまつわるエッセイを、自由に展開する。掲げた句歌の鑑賞には、さほどとらわれない。
毎回、事前に打ち合わされるのは、テーマとなるキーワードだけ、とのこと。句歌選びとエッセイは、各々の作業となる。
一つのキーワードのもとに、つがいになった短歌と俳句。これらを眺めてゆくのが、まずおもしろい。たとえば「目」の項。
抱き合う男女の背後に揺れる植物。目はなくても、その夜の証人として、確かな位置を占めている。いっぽう渡り鳥のほうは、二つの目が、鳥そのものを象徴し、くっきりとした印象を読者に与えている。
目がない植物と、目が強調された渡り鳥と。素材としては正反対のようだけれど、何か不気味な存在感、という点では響きあうものがある。
それぞれのエッセイはというと、歌人は「心の瞳でとらえる」というタイトルで、視力を失う不安と戦った友人の話。俳人は「目をつぶって見る」というタイトルで、自分のうつむく癖から筆をおこしている。
つがいになった句歌の次には、つがいになったエッセイを楽しむ。近いようで遠かったり、遠いようで近かったりする二者の話題の距離感が、プラスアルファの味わいだ。
「背中」の項では、ともに「父の背中」の短歌と俳句が掲げられながら、エッセイはまったく違う方向へ進んでいる。逆に「電話」では、「たいへんな電話魔である。」という歌人と「電話が苦手である。」という俳人の見解が、なぜか一致したりもする。
句と歌の距離。句歌とエッセイの距離。エッセイとエッセイの距離。本書の魅力は、それぞれの独立したおもしろさに加え、偶然の取り合わせの妙を、読者が自分なりに橋渡ししながら読める点にあるだろう。上下二段に分けたレイアウトが、その楽しみのためにも効果的だ。巻末には著者対談。これは一昨年出版されたパートⅠにはなかった。ちょっぴりお得な感じである。
【この書評が収録されている書籍】
そして、それぞれが「嫉妬」にまつわるエッセイを、自由に展開する。掲げた句歌の鑑賞には、さほどとらわれない。
毎回、事前に打ち合わされるのは、テーマとなるキーワードだけ、とのこと。句歌選びとエッセイは、各々の作業となる。
一つのキーワードのもとに、つがいになった短歌と俳句。これらを眺めてゆくのが、まずおもしろい。たとえば「目」の項。
いだきあふ夜の男女のそびらにてしよくぶつは眼をもたずゆれおり 坂野信彦
渡り鳥目二つ飛んでおびただし 三橋敏雄
抱き合う男女の背後に揺れる植物。目はなくても、その夜の証人として、確かな位置を占めている。いっぽう渡り鳥のほうは、二つの目が、鳥そのものを象徴し、くっきりとした印象を読者に与えている。
目がない植物と、目が強調された渡り鳥と。素材としては正反対のようだけれど、何か不気味な存在感、という点では響きあうものがある。
それぞれのエッセイはというと、歌人は「心の瞳でとらえる」というタイトルで、視力を失う不安と戦った友人の話。俳人は「目をつぶって見る」というタイトルで、自分のうつむく癖から筆をおこしている。
つがいになった句歌の次には、つがいになったエッセイを楽しむ。近いようで遠かったり、遠いようで近かったりする二者の話題の距離感が、プラスアルファの味わいだ。
「背中」の項では、ともに「父の背中」の短歌と俳句が掲げられながら、エッセイはまったく違う方向へ進んでいる。逆に「電話」では、「たいへんな電話魔である。」という歌人と「電話が苦手である。」という俳人の見解が、なぜか一致したりもする。
句と歌の距離。句歌とエッセイの距離。エッセイとエッセイの距離。本書の魅力は、それぞれの独立したおもしろさに加え、偶然の取り合わせの妙を、読者が自分なりに橋渡ししながら読める点にあるだろう。上下二段に分けたレイアウトが、その楽しみのためにも効果的だ。巻末には著者対談。これは一昨年出版されたパートⅠにはなかった。ちょっぴりお得な感じである。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞
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