内田百閒をぐるぐる回って
〈なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う〉という『特別阿房(あほう)列車』の有名な書き出しで本書ははじまる。『阿房列車』シリーズ、『冥途(めいど)』『ノラや』などで知られる作家の内田百閒(うちだひゃっけん)について考察したコミックエッセイだ。あっさりとしていながら味わいのある線で描かれた、丸メガネにへの字口の百閒先生がとても愛らしい。発車のタイミングが気に入らないとわざと乗り遅れたり、2人並んで同じ方を向いて座るのはおかしいと考えたり。第1話の「阿房列車の人々」は、百閒先生のユニークな鉄道旅のスタイルを紹介したあと、阿房列車の後継者とも言える2人の作家の話に移る。話題のつなげかたが融通無碍(ゆうずうむげ)で、これみよがしなところは微塵(みじん)もなく、作者の読んでいる本の幅広さを感じさせる。
さまざまなテーマが取り上げられているが、印象に残ったのは百閒先生より先に亡くなった師や友人たちのエピソードだ。寝台列車から落ちた作曲家の宮城道雄(みやぎみちお)、生まれたばかりの娘を海鼠(なまこ)に喩えた夏目漱石、山高帽子を怖がった芥川龍之介、尺八を吹くタコの絵を描かされた版画家の谷中安規(たになかやすのり)……。百閒先生の文章と同様に、飄々として滑稽味のある描き方だからこそ、悲しみの深さが伝わってくる。特に宮城道雄が出てくる「残月記」の最後の1コマは美しい。
教え子の死に触れた「空の荷物か大将か」の〈百閒先生の追悼文を読むと先生は相手が死ぬとデレるのだなあと思う〉〈ツンデレならぬ死後デレである〉という指摘も面白い。百閒先生の似顔絵の鼻から出ている渦巻きみたいに、それぞれのページをぐるぐる回って、いつまでも読んでいたくなる。