書評
『コーネルの箱』(文藝春秋)
作品と詩と訳文と、幸せな触れあい
ひとりの男(その名をアルフレッド・シュッツという)が、亡命先のニューヨークで、銀行に勤めるかたわら、現象学的社会学という未知の学問の構想を練り上げていたころ、同じ街でひとりの織物会社員が未知の芸術に取り組んでいた。その名はジョゼフ・コーネル。「箱の芸術家」ともいわれる。
勤務があけてから、街をうろつき、古道具屋や古書店を漁(あさ)る。ポスターや人形、黄ばんだ写真や地図、ぜんまいやパイプ、そんな安手の小物や玩具を集め、小箱に並べて、立体的なコラージュを作る。木箱のなかに呼び出された楽譜の切れ端や鳥の羽、ガラス球、そのがらくたたちが、言葉をあたえられることがなく、そのうごめきすら気づかれることのなかった、わたしたちのなかの「わたし」より古い幻想や妄執を、一瞬結晶させる。
ひとを「世界の外」へ連れだす、小さな回転扉? 脈絡なく物を隣接させる手法でシュルレアリストのひとりに数えられてきたが、かれの作品に黒魔術のようなおどろおどろしさはない。絵を描いたわけでもなく、彫像を作ったわけでもない、ただ物を並べただけの芸術家。かれは、老と幼、男と女、昼と夜、過去と現在、幸と不幸といったあらゆる分別の外にいた。
たとえば、フェルメールの横に、手品師フーディーニが、バービ・ドールがいる。ビルのはげ落ちた壁が箱のなかに封入され、そのなかからパルミジャニーノの婦人像が背景を切り取られて、おぼろげに浮かび上がる。すべては、断片としてこの小箱のなかに閉じ込められているのに、フリー・ジャズのセッションのように、異様なのに切ない旋律として、この小箱を抜けで、「世界」を押しのけて、箱を見つめるわたしたちのここに「世界の外」を招き入れる。
この箱の作品集に、詩人、チャールズ・シミックが、瀟洒(しょうしゃ)でとても本質的な掌編を寄せている。宇宙の誕生もバレエの跳躍も石鹸(せっけん)の泡だとしたあと、「はるか彼方(かなた)のものが、近くのものとつかのま触れあう。世界は美しいが、世界を言葉にはできない。だから芸術が要るのだ」ときっぱり語るかとおもえば、あなたが映画を途中から見るのを好むなら、コーネルこそうってつけの監督だ、とおもわせぶりに誘いかけもする。きわめつけは、「詩のスロットマシーン——我々の想像力によって作動し、相容(あいい)れぬ意味たちの大当たりを出す」というコーネル讃(さん)。
所有者に見かぎられ、街にほっぽりだされた小物たち、そのもっともチープな存在とともに箱に立てこもったコーネル。それでパーフェクトだった。だから、アーティストたちの「社会」に招き入れられるにつれて、箱は減っていった。
コーネルの作品集、シミックの散文詩集、訳文のこよなく美しい日本語。三冊分の値打ちがある。原題は『十セントショップの錬金術』。
朝日新聞 2004年02月15日
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