書評
『千年の夢―文人たちの愛と死』(小学館)
読み終えて、茫然となった。これは何と鮮明で濃厚なまぼろしなのだろう。
心惹かれた何人かの人びとが紙の中から立ちあがり、動き出す。岡本一平がぼんやりと煙草の煙を眺めている。武者小路房子が鋭い目を光らせて高笑いしている。樋口一葉が真面目くさった顔つきで本郷の路地を歩きながら小さく舌打ちしている……。彼らの笑い声、怒声、呻き、溜息まで聞こえて来るようだ。もうこの世にはいない彼らの生命の火の輝き。まぼろしはいつまでも私の頭の中から去って行かない。この本を読み終えたあなたも、きっと今、私と同じ思いでいることだろう。
マンガでこれだけのことができるのかと、まず、驚く。私もたくさんの恋愛映画を見て、たくさんの人物評伝を読んで来たけれど、齋藤なずなのこのマンガほど心を揺さぶられた作品はめったにない。
題材としてとりあげた文人たちは、いずれもたいへんに有名な人たちばかりである。当然マニア的な研究書も資料も多い。著者はその資料の海の中に飛び込んで、深く深く潜り込み、溺れることなく、海の底から何かキラキラと光るものを探し当て、握りしめて、地上へと帰って来た。力技である。
資料に学び、しかも資料に振り回されずに独自の作品として仕上げること。それは思いのほか難しいことだと思う。多くの資料のどこに注目するか。どこにその人物の本質を見るか。どこに人間性というものの真実を発見するか――。つまり……ものすごくつまらない言葉で言ってしまうと「視点」というやつだ。面白い「視点」の持ち主でなければ、資料の海の中からキラキラと光るものを持ち帰ることはできないのだ。
『千年の夢』(小学館文庫)は、もともと『恋愛烈伝』というタイトルだった(初出のマンガ雑誌『ビッグ・ゴールド』と単行本)。どの話も恋愛が中心テーマになっている。
恋愛……。いや、「性」と呼んでもいいが、これほど奥深く、面白く、根源的なテーマはないと思う。私はそう確信している。
にもかかわらず、私は自分の仕事の中で一貫してそのテーマで書くことは避けて来たし、恋愛映画はともかく恋愛小説はほとんど読まない。その理由について書き出すと長くなるので思いっきり省略するが……一言で言うなら、恋愛をファンタジーとして語るのは簡単だが、恋愛をリアルとして語るのはものすごく難しいことだと思っているからだ。私は死ぬまで自分にとっての恋愛や性を言葉で説明することはできないだろう。なあんて、もったいぶるほどのこともないのだけれど。
とにかく、世の中でもてはやされる恋愛物(映画、小説、TVなど)には首をひねってしまうことの多い私だが、この『千年の夢』にはズシッとした手ごたえを感じた。恋愛をファンタジーではなくリアルとしてつかみ出そうという著者の勇気。そしてそれを実現させてしまった著者の想像力と技倆に圧倒された。
恋愛という言葉自体が何とも薄っぺらで軽いものに感じられるくらい、『千年の夢』に描かれた男女のドラマは、それぞれにヘンテコに歪んでいて、時にすさまじく、おそろしい。
私が最も面白く読んだのは、岡本一平・かの子に取材した「堕天女」「聖家族」だ。
何と言っても、まず、かの子の顔の描き方に感動した。一平には天女や観音に見え、多くの人びとには(芥川龍之介や谷崎潤一郎の目にも)まったく美貌には見えなかったという岡本かの子の顔が、「そうだ、きっとこの顔だ、これしかない」という形で描かれている。
実際のかの子の顔に似ているかどうかではない、かの子という女の核心をしっかりとつかまえていると思わせる顔である、妙にかわいい。この世離れした感じもある。表情もすばらしい。美人の代表のごとく騒がれた九条武子に向かって「美しく生まれなかった女の方って、いったいどんな気持ちがするものでしょうねぇ!」という時の表情なぞサイコーだ。著者はきっと、かの子の顔をこの形で行こうと決めた時、ドラマが自然と動き出して行くのを感じたに違いない(息子・太郎の描き方にもホレボレ。死屍累々の中で生きのびた野生児!)。
平成七年の暮れ、つまり岡本太郎が亡くなる直前に出版された『一平かの子――心に生きる凄い父母』(岡本太郎著、チクマ秀版社)という本がある。一平・かの子・太郎――三つの火の玉がぐるぐると飛び交っているような印象の本だ。私はどちらかというと一平のほうにより強く興味をひかれ、他の本にも手をのばし、ぼんやりと岡本家三人の人物像や関係について想像をめぐらせていたのだが……「堕天女」「聖家族」を読んでスッと焦点が合ったように感じた。一平のニヒリズム(思想的なものではなく江戸っ子の体質的なもの)がはしばしに描かれているからこそ、かの子へ傾斜したり没頭したりする心の動きが納得できる。
最後になってしまったが、著者は今の人には珍しく、きもの姿の女の人を描くのが実にうまい。きもの自体の動きや、きものを着た人のしぐさが目に楽しい。その点でも「堕天女」「聖家族」は、とりわけ入魂の作品と感じられたのだった。
【この書評が収録されている書籍】
心惹かれた何人かの人びとが紙の中から立ちあがり、動き出す。岡本一平がぼんやりと煙草の煙を眺めている。武者小路房子が鋭い目を光らせて高笑いしている。樋口一葉が真面目くさった顔つきで本郷の路地を歩きながら小さく舌打ちしている……。彼らの笑い声、怒声、呻き、溜息まで聞こえて来るようだ。もうこの世にはいない彼らの生命の火の輝き。まぼろしはいつまでも私の頭の中から去って行かない。この本を読み終えたあなたも、きっと今、私と同じ思いでいることだろう。
マンガでこれだけのことができるのかと、まず、驚く。私もたくさんの恋愛映画を見て、たくさんの人物評伝を読んで来たけれど、齋藤なずなのこのマンガほど心を揺さぶられた作品はめったにない。
題材としてとりあげた文人たちは、いずれもたいへんに有名な人たちばかりである。当然マニア的な研究書も資料も多い。著者はその資料の海の中に飛び込んで、深く深く潜り込み、溺れることなく、海の底から何かキラキラと光るものを探し当て、握りしめて、地上へと帰って来た。力技である。
資料に学び、しかも資料に振り回されずに独自の作品として仕上げること。それは思いのほか難しいことだと思う。多くの資料のどこに注目するか。どこにその人物の本質を見るか。どこに人間性というものの真実を発見するか――。つまり……ものすごくつまらない言葉で言ってしまうと「視点」というやつだ。面白い「視点」の持ち主でなければ、資料の海の中からキラキラと光るものを持ち帰ることはできないのだ。
『千年の夢』(小学館文庫)は、もともと『恋愛烈伝』というタイトルだった(初出のマンガ雑誌『ビッグ・ゴールド』と単行本)。どの話も恋愛が中心テーマになっている。
恋愛……。いや、「性」と呼んでもいいが、これほど奥深く、面白く、根源的なテーマはないと思う。私はそう確信している。
にもかかわらず、私は自分の仕事の中で一貫してそのテーマで書くことは避けて来たし、恋愛映画はともかく恋愛小説はほとんど読まない。その理由について書き出すと長くなるので思いっきり省略するが……一言で言うなら、恋愛をファンタジーとして語るのは簡単だが、恋愛をリアルとして語るのはものすごく難しいことだと思っているからだ。私は死ぬまで自分にとっての恋愛や性を言葉で説明することはできないだろう。なあんて、もったいぶるほどのこともないのだけれど。
とにかく、世の中でもてはやされる恋愛物(映画、小説、TVなど)には首をひねってしまうことの多い私だが、この『千年の夢』にはズシッとした手ごたえを感じた。恋愛をファンタジーではなくリアルとしてつかみ出そうという著者の勇気。そしてそれを実現させてしまった著者の想像力と技倆に圧倒された。
恋愛という言葉自体が何とも薄っぺらで軽いものに感じられるくらい、『千年の夢』に描かれた男女のドラマは、それぞれにヘンテコに歪んでいて、時にすさまじく、おそろしい。
私が最も面白く読んだのは、岡本一平・かの子に取材した「堕天女」「聖家族」だ。
何と言っても、まず、かの子の顔の描き方に感動した。一平には天女や観音に見え、多くの人びとには(芥川龍之介や谷崎潤一郎の目にも)まったく美貌には見えなかったという岡本かの子の顔が、「そうだ、きっとこの顔だ、これしかない」という形で描かれている。
実際のかの子の顔に似ているかどうかではない、かの子という女の核心をしっかりとつかまえていると思わせる顔である、妙にかわいい。この世離れした感じもある。表情もすばらしい。美人の代表のごとく騒がれた九条武子に向かって「美しく生まれなかった女の方って、いったいどんな気持ちがするものでしょうねぇ!」という時の表情なぞサイコーだ。著者はきっと、かの子の顔をこの形で行こうと決めた時、ドラマが自然と動き出して行くのを感じたに違いない(息子・太郎の描き方にもホレボレ。死屍累々の中で生きのびた野生児!)。
平成七年の暮れ、つまり岡本太郎が亡くなる直前に出版された『一平かの子――心に生きる凄い父母』(岡本太郎著、チクマ秀版社)という本がある。一平・かの子・太郎――三つの火の玉がぐるぐると飛び交っているような印象の本だ。私はどちらかというと一平のほうにより強く興味をひかれ、他の本にも手をのばし、ぼんやりと岡本家三人の人物像や関係について想像をめぐらせていたのだが……「堕天女」「聖家族」を読んでスッと焦点が合ったように感じた。一平のニヒリズム(思想的なものではなく江戸っ子の体質的なもの)がはしばしに描かれているからこそ、かの子へ傾斜したり没頭したりする心の動きが納得できる。
最後になってしまったが、著者は今の人には珍しく、きもの姿の女の人を描くのが実にうまい。きもの自体の動きや、きものを着た人のしぐさが目に楽しい。その点でも「堕天女」「聖家族」は、とりわけ入魂の作品と感じられたのだった。
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする







































