書評
『ポーの話』(新潮社)
どことも知れぬ遠い町や村を舞台に、象徴性を帯びたキャラクターを多々登場させるいしいしんじの小説は、寓話とかファンタジーとかに括られがちで、それは決して間違ってはいない。でも、一方でとてもリアルで大事なことを、読み手の心へ一直線に届けるのに長けている作家でもあるのだ。
「おまえの、たいせつな、大事なものなのか?」
「それがおまえにとって、たいせつなんだな」
「たいせつなものを、取りにいくんだろ?」
主人公のポーが繰り返すこうした言葉を通じて、いしいしんじはこの書き下ろし長篇で読者に真っ直ぐ問いかけてくる。あなたにとって、大切なものは何ですか? 善と悪ってどんなものですか? つぐないは可能ですか? と。
物語の舞台は幅広い泥の川が北から南へとゆるやかに流れていて、あまたの橋がかかっている街。川をさかのぼった街はずれの浅瀬には、はるか昔からうなぎを漁って暮らしているうなぎ女たちがいて、主人公のポーは彼女たちの息子だ。やがて五〇〇年ぶりの大雨による大洪水で壊滅してしまう街。ポーは、街の名物男、天気売りと共に下流へと流されて――。
善悪で二分されるような価値観を持たないまっさらな心の持ち主のポーが、さまざまな人たちと出会い、彼らの中にある善と悪のすべてをわけへだてなく見て、味わい、彼らとの交流を通して自分にとっての”大切なもの”を知り、それを失い、壊れ、新しい人として再生するまでを描いた、これは神話的なスケールの物語なのである。
大切なものを守っていく中、他の誰かの大切なものを損なったり、強奪してしまう。生きとし生ける者が背負う原罪の諸相と、どうしたらそれをつぐなうことができるのかという普遍的にしてリアルなテーマを、物語の中にごく自然に織り込んで、この小説は川の水が上流から下流へと流れ、やがて大海原へと至る過程そのままに、なだらかだったり浮き沈みがあったりと、たくさんの感情を喚起しながら、やがて晴れ晴れと開放的な感動へと読者をいざなう。
ポーと天気売りをはじめとする登場人物&動物の造形の妙、ファンタスティックなのに嘘のない自然描写、何ごとも白黒決めつけたりしない自由闊達な語り口、起伏豊かな物語。読後、ポーと共に大きくて深い時間を生きたという充実感に満たされる、これは「海の宝石」ともいわれるうみうしのように美しい小説だ。どうして、うみうしかって? それは読んでのお楽しみ!
【この書評が収録されている書籍】
「おまえの、たいせつな、大事なものなのか?」
「それがおまえにとって、たいせつなんだな」
「たいせつなものを、取りにいくんだろ?」
主人公のポーが繰り返すこうした言葉を通じて、いしいしんじはこの書き下ろし長篇で読者に真っ直ぐ問いかけてくる。あなたにとって、大切なものは何ですか? 善と悪ってどんなものですか? つぐないは可能ですか? と。
物語の舞台は幅広い泥の川が北から南へとゆるやかに流れていて、あまたの橋がかかっている街。川をさかのぼった街はずれの浅瀬には、はるか昔からうなぎを漁って暮らしているうなぎ女たちがいて、主人公のポーは彼女たちの息子だ。やがて五〇〇年ぶりの大雨による大洪水で壊滅してしまう街。ポーは、街の名物男、天気売りと共に下流へと流されて――。
善悪で二分されるような価値観を持たないまっさらな心の持ち主のポーが、さまざまな人たちと出会い、彼らの中にある善と悪のすべてをわけへだてなく見て、味わい、彼らとの交流を通して自分にとっての”大切なもの”を知り、それを失い、壊れ、新しい人として再生するまでを描いた、これは神話的なスケールの物語なのである。
大切なものを守っていく中、他の誰かの大切なものを損なったり、強奪してしまう。生きとし生ける者が背負う原罪の諸相と、どうしたらそれをつぐなうことができるのかという普遍的にしてリアルなテーマを、物語の中にごく自然に織り込んで、この小説は川の水が上流から下流へと流れ、やがて大海原へと至る過程そのままに、なだらかだったり浮き沈みがあったりと、たくさんの感情を喚起しながら、やがて晴れ晴れと開放的な感動へと読者をいざなう。
ポーと天気売りをはじめとする登場人物&動物の造形の妙、ファンタスティックなのに嘘のない自然描写、何ごとも白黒決めつけたりしない自由闊達な語り口、起伏豊かな物語。読後、ポーと共に大きくて深い時間を生きたという充実感に満たされる、これは「海の宝石」ともいわれるうみうしのように美しい小説だ。どうして、うみうしかって? それは読んでのお楽しみ!
【この書評が収録されている書籍】
初出メディア

- 2005年7月6日
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