書評

『神話・狂気・哄笑――ドイツ観念論における主体性』(堀之内出版)

  • 2017/11/24
神話・狂気・哄笑――ドイツ観念論における主体性  / マルクス・ガブリエル,スラヴォイ・ジジェク
神話・狂気・哄笑――ドイツ観念論における主体性
  • 著者:マルクス・ガブリエル,スラヴォイ・ジジェク
  • 出版社:堀之内出版
  • 装丁:単行本(360ページ)
  • 発売日:2015-11-27
  • ISBN:4906708544
内容紹介:
アメリカにおけるヘーゲル・ルネッサンスの賑わいと、フランスのメイヤスーに代表される思弁的実在論の新展開。本書は今ドイツでもっとも注目を浴びる若き天才が、ジジェクとともにドイツ観念論の古典再解釈を通じて、そうした現代思想の新潮流を敢然と批判する。しかし、その展開は批判だけに留まらず、「存在論」を再び哲学の中心に据えることで世界を新たな理解へと導く。ドイツでブームとなっているガブリエルの書籍『なぜ世界は存在しないのか』のダイジェスト版論文の翻訳も特別収録。

「ドイツ観念論における対話」の可能性

純然たる哲学書である本書を、門外漢ながら手に取ったのには理由がある。マルクス・ガブリエルの講演録「なぜ世界は存在しないのか」が収録されていたからだ。数年前から彼の名は気になっていた。弱冠29歳にしてドイツの名門ボン大学の哲学科主任教授となった天才的哲学者。その主著『なぜ世界は存在しないのか』は2013年6月に発売されるやベストセラーとなっている。1980年代の浅田彰ブームを髣髴(ほうふつ)とさせるこの書き手は、いったい何を主張しているのか。本書はジジェクとの共著とはいえ、彼の著書の最初の翻訳なのである。

ガブリエルが専門とする「ドイツ観念論」は、フィヒテ、シェリング、へーゲルといった古典の再解釈にいそしむ学問とばかり思っていた。しかしこの若き俊英は、その驚くべき博覧強記によってドイツ観念論史を明快に再構築し、さらに現代的な問題へのさまざまな示唆を含むオリジナルな思考を展開している。

とりあえず、先に述べた講演録のほうからみてみよう。

結論を先取りするなら、彼の主張はこうなる。「世界は存在しない。しかし、それ以外のあらゆるものは存在する」。これを「新実在論」という。

イマヌエル・カント以降の哲学において、世界は物としての巨大な容器ではなく、むしろ同定可能な対象物ではないとみなす「世界の地平モデル」が用いられる。つまり、世界は世界のうちでは現れないのであり、これをもって「世界は存在しない」とされている。

もう少し詳しく説明しよう。物や事実は世界の中に存在する。これらの存在を認識し記述するために「世界」が必要とされる。しかし「世界」そのものを語ろうとすると、それを対象化するためにより高次の「世界」が必要となる。このように、どこまでもメタレベルの「世界」を生み出してしまういたちごっこの構造が、世界そのものの構造である。世界を世界として考察できるような、絶対的な立脚点は存在しない。ゆえに、世界は存在しない。

この命題に立って、ガブリエルは「自然主義」、すなわち自然科学こそが「絶対的な立脚点」として、世界をありのままに認識できるとする考え方を批判する。とりわけ人間の特権性を、脳科学や進化心理学などに「落ちぶれさせようとする試み」が批判のやり玉に挙げられる。

しかしガブリエル(とジジェク)の本書における企(たくら)みは、単なる相対主義や独我論のリニューアルなどではむろんない。本書に付された簡潔にして明快な「訳者解説」によれば、彼らは「主体性を度外視した存在論と、存在論の認識論(主体性論)への一面化の双方を克服する『新しい存在論』の可能性を、ドイツ観念論の議論から読み取ろうとしている」。これがガブリエルの「新実在論」のねらいなのである。

本書においてガブリエルは、シェリングの神話論の精緻な解読に続けて、やや唐突にヴィトゲンシュタインを引用する。この「世界は事実の総体である」という命題で知られる哲学者は、「我々が世界を認識する時のかかわり方は、厳密な意味で神話的である」とした。これは信仰の有無とは無関係に、我々の日常的なあらゆる営みが、ある種の体系的な信念の網に投げ入れられていることを意味する。それは科学的でも命題的なものでもないが、われわれの日常において基礎的なことがらなのである。

ガブリエルは「偶然性」の擁護を介して、こうした「神話」の必要性を主張する。彼は科学主義と創造説の双方が、パラノイア的な誤謬(ごびゅう)をおかしているとするが、これはいずれも、唯一の世界の存在を疑うことがないためだろう。

つまるところガブリエルによる「全体としての世界」の否定は、「それ以外のすべてのもの」の多様な存在を肯定することにつながる。この視点は、ポストモダン的な社会構成主義(現実世界は言語とコミュニケーションから構成される)と接続可能であるように思われる。この視点においては、「神話」の多様性や「現実」の多層性が尊重されるからだ。

評者の専門である医療の領域に関連づけるなら、ガブリエルの「新実在論」は、普遍的な医学的根拠(エビデンス)に依拠した医療に対して、個人の経験や語り(ナラティブ)に依拠した医療の重要性を主張する近年の動向と親和性が高い。

また評者が近年紹介に努めている「オープンダイアローグ」との接点もありそうだ。これはフィンランドで開発された精神障害に対する介入と治療の技法であり、対話主義(バフチン)に根ざした思想でもある。ガブリエルの言葉に翻案するなら、オープンダイアローグは、悪(あ)しき「世界」存在にとらわれた患者の精神を対話によってときほぐし、おのおのの固有の「神話」(ナラティブ)の回復を助けるための手段とみなすことも可能であろう。

本書の副題には「ドイツ観念論における主体性」とある。ならば評者としては「ドイツ観念論における対話」がいかなる哲学をもたらすか、今後の展開に期待しないわけにはいかない。(大河内泰樹、斎藤幸平監訳、飯泉佑介ほか訳)
神話・狂気・哄笑――ドイツ観念論における主体性  / マルクス・ガブリエル,スラヴォイ・ジジェク
神話・狂気・哄笑――ドイツ観念論における主体性
  • 著者:マルクス・ガブリエル,スラヴォイ・ジジェク
  • 出版社:堀之内出版
  • 装丁:単行本(360ページ)
  • 発売日:2015-11-27
  • ISBN:4906708544
内容紹介:
アメリカにおけるヘーゲル・ルネッサンスの賑わいと、フランスのメイヤスーに代表される思弁的実在論の新展開。本書は今ドイツでもっとも注目を浴びる若き天才が、ジジェクとともにドイツ観念論の古典再解釈を通じて、そうした現代思想の新潮流を敢然と批判する。しかし、その展開は批判だけに留まらず、「存在論」を再び哲学の中心に据えることで世界を新たな理解へと導く。ドイツでブームとなっているガブリエルの書籍『なぜ世界は存在しないのか』のダイジェスト版論文の翻訳も特別収録。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2016年4月17日

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