究極の「公私混同」はどう描かれてきたか
とにかくこの明確なタイトルに痺れる。何が書かれ、何を考察しているのかが即座に見えるタイトルは、デキる社員のプレゼン資料のようだ。小説の中に登場する「オフィスラブ」から、恋愛観や労働観を掘り出し、「公私混同」の描かれ方の過去と現在を解く。合コンで出会った2人の結婚式に出向くと「共通の友人の紹介で出会い……」とはぐらかされることがあるが、オフィスラブは、はぐらかされない。「会社の同僚」と紹介される。本来、職場では忌避されるはずなのに、その事実が明らかになった途端、プロセスを問われなくなるのだ。
1970年代から使われるようになった「オフィスラブ」との響きに気恥ずかしさを覚えつつ、自分と同世代の著者に「70~80年代に出会いの主流となったオフィスラブによってこの世に生を受けた、いわば『オフィスラブ時代の子ども』なのである」と言われれば、自分の両親の出会い(オフィス同士が近い英会話教室)は少々イレギュラーだったか、と思い出す。
公的空間での私的な関係だからこそ、不倫・浮気の温床にもなる。社内での行動と内心の差異がストーリーを引っ張ってきた。当然、職場での権力の有無が恋愛に作用してくる。
東野圭吾『夜明けの街で』を「不倫に手を染めた男にとって都合の良すぎる物語」と断じるように、会社での力関係に準じて登場人物を管理できる空間だからこそ、独りよがりにもなりやすい。数々のオフィスラブ小説を味わううちに「大人の『労働』のなかにも様々な形の『夢』が混じりあっていると思うようになった」と著者。よくある設定の中をいかに泳ぎ、読ませるか。「公私混同」に挑んできた作品群が、知らぬ間に現実社会を掬(すく)い上げていた事実が面白い。