物語の海を旅する明晰なガイド
『文体の舵をとれ』と題する本書は、『闇の左手』や『ゲド戦記』といった代表作で知られるSF・ファンタジー作家のアーシュラ・K・ル=グウィンが、小説を書こうと志す十四人の生徒と一緒になって行ったワークショップをもとにする、小説教室である。まえがきにあるように、初心者向けの本ではなく、しかも語られているのは英語の文章の書き方なので、日本の一般読者にはハードルが高いのではないかと尻込みされるかもしれない。しかし、そうした心配は一切無用である。『ゲド戦記』が多島海という世界を舞台にしていたことを必然的に思い出させてくれる、船の比喩は、原題にある「クラフト」という言葉が「船」を指すと同時に「技巧」も指すところから選ばれたもの。つまり、物語の海に乗り出すときに、どうやって技巧という舵をとるかが解説されているわけだが、物語の作者が船長だとするなら、わたしたち読者はその船の乗客になって、船長の舵さばきを楽しみながら航海をともにしてもかまわない。そのつもりでこの『文体の舵をとれ』を、ル=グウィンのガイドに従って楽しめば、あちこちに目を奪われるような景色が広がっているはずだ。
本書がたどる航路は、一般的な文章作法の基礎になる文法事項の確認から始まって、視点や語りの声といった小説特有の技法の解説を経由し、最後は物語を書くうえでの高級なテクニックの習得に終わる。この航海のまだ最初、文法事項という海域を進んでいくところでも、ル=グウィンの記述には教科書くささがなく、活気が満ちている。
たとえば、第5章「形容詞と副詞」を見てみよう。そこで、形容詞と副詞を使いすぎると文章が肥大化する、というルールを語った後に、ル=グウィンはこう書く。「ちょっと自分の文章をまさに一種見てみて、まさにちょっと一種の使い過ぎみたいな何かとても愛用の限定詞が入っていないか確かめてみるといい」。ルールに反する悪い見本、あるいはその逆でルールに沿った良い見本を、こんなふうに自らの手で示しながら解説する。だからわたしたちの頭の中にすっと入ってきて、それが身につくのだ。
さらにこの章では、「形容詞も副詞も使わずに、何かを描写する語りの文章を書く」という練習問題も付いている。それは、「十四、五歳の孤高の航海者であったころのわたしが自分で考案したものだ」という。ル=グウィンのあの簡潔で明晰きわまりない文体は、そうやって若い頃から意識的に鍛え上げた、その賜物だったのか、と感動に近いものを覚えずにはいられない。
ル=グウィンのこの本は、わたしたち読者の目も鍛えてくれる。小説がどのようにして書かれるか、作者のそうした技巧に、自然と目が向くように読者を導いてくれる。たとえば、好例として引かれている、ヴァージニア・ウルフの諸作品における視点人物の切り替え、物語に必要な大量の情報を無理なくもたらす情景描写の妙に、読者は技巧の大切さを教わるだろう。
「あるのは言葉だけ」だとル=グウィンは書く。わざとはぐらかした言葉や、内実のない言葉があふれる現実世界で、この言葉はいっそう重く響く。