書評
『谷崎潤一郎文学の着物を見る: 耽美・華麗・悪魔主義』(河出書房新社)
谷崎文学の女性たちが妖しく艶やかに立ち上がる
着物のおしゃれは組み合わせの妙にある。その要諦を圧倒的な迫力とともに教わったのは、当代随一の着物コレクター、池田重子のコレクションによる「日本のおしゃれ展」を観たときだった。初めて足を運んだのは二十年ほど前、伊勢丹美術館だったと記憶している。池田さんは大正十四年生まれ、昨年逝去したが、生涯を通じての信条は、「着物は豪華でなくとも優美でありたい、立派でなくとも洒落たものでありたい」。つまり、豪華で立派なだけなら、着物はかたなし。半衿(はんえり)、帯、帯締め、帯揚げ、帯留めなど小物との合わせ方によって無限大の世界を提示するところに、着物の深淵と凄みがある。
『谷崎潤一郎文学の着物を見る』は、そんな着物の魅力を存分に伝える一冊だ。没後五十年、生誕百三十年。谷崎文学、あるいは谷崎潤一郎という文豪を通して浮かび上がる着物は、夢うつつを体現してぞくぞくさせられる。帯には「百年経ってもいかがわしい!!」。
谷崎文学と着物との関係を語るには、何はなくとも『細雪』の花見のシーン。じっさい昭和十五年、谷崎自身が撮影した平安神宮での花見の写真が残されているのだが、白黒のスナップにもかかわらず、その艶っぽさは目が眩むかのよう。本書はまず冒頭で、松子、恵美子、信子、重子ら四人の優美な着物姿を再現する。昭和初期の着物や帯、羽織、ショールなどを巧みに合わせ、それぞれの人となりに踏み込むコーディネートだ。また、雪子の着物に関する谷崎の描写「彼女が持ってゐる衣裳の中でも、分けて人柄に嵌ってゐるものであったが」(『細雪』)なる一文に挑戦、鳩羽紫(はとばむらさき)地に撫子(なでしこ)と白抜きの波文様を配したアンティーク着物の、それこそぴたりと嵌(はま)った生地には、雪子は確かにこの着物に身を包んでいたと思わせるだけの説得力があり、見入ってしまう。
『神と人との間』、中川修造による挿画からインスピレーションを得た、朝子の薔薇の柄の銘仙。『肉塊』の民子のビロードのコートとショール。ロングネックレスを何重にもかけた婀娜(あだ)っぽい夜会服風の着物は、アールヌーヴォーが流行した時代考証が効いている。とりわけ『痴人の愛』のナオミのコーディネートは圧巻だ。女学生になりすますナオミの赤い薔薇柄の銘仙と紺の袴。ページをめくると一転、赤と黒の市松柄の兵児(へこ)帯を前で蝶々に結び、大胆きわまりない水玉柄の銘仙。「彼女はそれを素肌に纏うのが癖でしたから」という描写に従い、長襦袢を着せていない。黒いトンビ、黒いハイヒールを合わせた一体は、まさに女弁天小僧。ナオミが現代に息を吹き返したかのようだ。この着物姿を思い浮かべながら、また『痴人の愛』を読み返したら一興だろうなと思い、心弾む。
着物の監修とスタイリングを担当した大野らふさんはこう書いている。
どんどん忘れられていく大正時代から昭和初期の記憶。しかし、谷崎があの時代を細かに描写してくれているおかげで、当時の流行や、流行の変遷まで教えてくれる。
着物の再現、作品のあらすじ、田村孝之介や棟方志功らによる挿画、谷崎の書跡……谷崎と編著者たちが手を組み、妖しい陰影を浮かび上がらせる。