選評
『風味絶佳』(文藝春秋)
谷崎潤一郎賞(第41回)
受賞作=町田康「告白」、山田詠美「風味絶佳」/他の選考委員=池澤夏樹、河野多惠子、筒井康隆、丸谷才一/主催=中央公論新社/発表=「中央公論」二〇〇五年十一月号小説家の技術
〈肉体の技術をなりわいとする人々〉を主な役どころに据えた山田詠美さんの短篇集『風味絶佳』で実現されたのは、小説技術のうまさである。それも、もっと根本的な、いわば構造的なうまさ。たとえば「夕餉」。ほとんど死んだように生きていた人妻が、生ゴミの集積場所で会った清掃作業員に惹かれて一緒に暮らすことになり、〈彼の体は、私が作るんだ〉と、心をこめて料理を作る。ある日の夕方の、この女の調理の過程を濃密かつ微細に描くことで、二人の過去と現在を浮かび上がらせる技術は冴えているが、作者は、さらにその上をめざしている。「死んだように生きていた人妻」もまた生ゴミのような存在であった、だからこそ彼女は回収されたのだということが、ひとこともそれとは直示せずに、しかし読者の前には、はっきりと明示される。この皮肉で巧みな作りが一篇を深い諧謔味で覆っている。ほかの五篇にも、このような周到な仕掛けが施され、その仕掛けが、作者の「決めぜりふを言いたがる癖」や「舌足らずの文体になりがちな癖」を、かえって愉快なリズムに変えた。町田康さんの『告白』は、河内音頭の神話的代表作、「河内十人斬り」を、いったんはバラバラに解体し、作者独特の音感、言語観、そして世界観で再創造した大作である。
注目すべきは作者の採用した語りの質。あるときは登場人物一人一人の心理の奥底まで降りて行き、あるときは河内から明治日本まで昇って自由自在、そして、じつにしばしば逸脱し、踏み外し、関節を外す。しかもそれが高度な技術で駆使されるところが、例を見ないおもしろさだ。美点は語りだけにあるのではなく、たとえば、主人公熊太郎が結末近くで述懐する言葉、〈俺はこれまでの人生のいろんな局面でこここそが取り返しのつかない、引き返し不能地点だ、と思っていた。ところがそんなことは全然なく、いまから考えるとあれらの地点は楽勝で引き返すことのできる地点だった〉には含蓄があり、しかも十人を斬ることになる彼の行動を読者に納得させる仕掛けにもなっている。そして熊太郎の最後の滑稽な虚無感、滑稽なだけに虚無の底はどこまでも深い。
【この選評が収録されている書籍】
中央公論 2005年11月
雑誌『中央公論』は、日本で最も歴史のある雑誌です。創刊は1887年(明治20年)。『中央公論』の前身『反省会雑誌』を京都西本願寺普通教校で創刊したのが始まりです。以来、総合誌としてあらゆる分野にわたり優れた記事を提供し、その時代におけるオピニオン・ジャーナリズムを形成する主導的役割を果たしてきました。
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