書評
『愛人 ラマン』(河出書房新社)
少女は援助交際をしていた
援助交際をしていた十五歳の少女が、五十数年後、七十歳になって体験を綴った。本は一九八四年に出されている。そのことがあったのは六十年以上も前だし、日本ででもないからそういう言葉も使ってはいないが、援助交際にはちがいない。ヴェトナムがフランスの植民地だったころのことだ。
相手の男は十二歳年上の中国人。当時のヴェトナムの民間不動産はすべて華僑に掌握されていた。男はそうした大金持ちの華僑の御曹司だった。
少女の一家は、本国の植民地政策によって入植はしたもののいまは零落しているプアー・ホワイト。少女自身はヴェトナムで生まれているが、のちにフランスでも指折りの作家になった。つまりマルグリット・デュラスだ。彼女がこの自伝的小説『愛人ーラマンー』を書いたときはすでに作家歴四十年の大物だった。フランスという国は他のことはいざ知らず、こと文学に関してはすれっからしだから、生半可な工夫では通用しない。デュラスもあの手この手を使って作品を書いた。読み易くはないので売れる作家ではなかったが、『愛人』はセンセーショナルな内容が評判になり、ベストセラーになった。
いまでもわたしの眼に見えているだけなので、その話をしたことはこれまで一度もない
と作者自身が言っているとおり、ずっと心に秘めていた体験を老年に至ってやっと紡ぎだせた、ということなのだろう。
少女はサイゴン市内の高等学校へ、メコン川対岸の町にある女子寮からバス通学していた。橋がなく、フェリーだった。運転手つきの大型リムジンに乗った中国人青年には、そのフェリーの上で出会った。
翌日からバス通学はリムジンでの送迎に変わり、やがて少女は、サイゴンの連れこみ宿の一室に導かれる。
はじめての性愛の経験で、のちのちまで記憶に残るのは、そこがどういう場所だったか、ということかもしれない。
その部屋はガラス窓ではなく、カーテンと鎧戸が使われていた。カーテンに、歩道の陽光の中を行く人々の影が映る。その影には鎧戸の横縞がついている。デュラスの記憶に刻みつけられたのは、その横縞だった。
ここのことを覚えているかしらと、わたしはたずねる。彼はわたしに言う、よく見ておくんだね。わたしはよく見る。どこにでもあるみたいね
そう、どこにでもある部屋。その部屋で、少女の浸った悦楽が美しい言葉で記されている。
海、かたちのない、単純に比類のない海
少女は一年半後に青年との関係を断ち切るようにして、はるばると海を渡って本国にもどる。そのくだりまで読み進むとまるで少女の心の傷に触れたような気持になるが、作者がこの一文を記したときに前にしたのは、そんなことでさえ遙か遠くになった茫洋とひろがる過去という時間だったはずだ。前世、といってもいいか。
老いたデュラスにある男性が「若いころはおきれいだったと、みなさん言いますが、若いころのお顔よりいまの顔のほうが私は好きです、嵐のとおりすぎたそのお顔のほうが」と言ったそうだ。
デュラスはいっとき酒びたりになったことがある。アルコールに破壊された痕跡は写真でもうかがえるが、悟りを得た小乗の仏僧に見えなくもない風貌に接しただけで、彼女が達した境地は伝わってくる。
さて、五十年後に、別の『愛人』を書くはずの少女が確実にいまの日本にいる。どんな顔を見せてくれるのか。
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする





































