あとがき
筑摩書房から『パリ時間旅行』(後に中公文庫)と題したエッセイ集を出したのは一九九三年のこと。パリを気ままに散策しながら、それぞれのトポスで時間旅行を試みるという趣向の本だったが、このころから、東京で同じことをやってくれないかという注文がポツリポツリと入り始めた。私は生まれも育ちも横浜で、結婚してから十三年ほどは東京に住んだことはあるが、それも板橋区と多摩市という都心からは離れた地域なので、東京そのものについてはあまり詳しく知らなかった。だから、断ってもよかったのだが、しかし、私は「自分の専門と関係がない分野の注文を受けたら無条件でこれを引き受ける」という風変わりな原則を持っていたので、東京時間旅行的な仕事は片端から引き受けることにした。
注文先は主に雑誌『東京人』で、特集やサブ特集があるたびに、東京のさまざまな盛り場に出向いたり、あるいは古いドキュメントを探索したりして記事を書いた。すると、同じような趣旨で他の雑誌からも注文が入り始めたので、東京をテーマにした一冊のヴァラエティ・ブックをつくる分量は確保できるまでになった。
ところが、二〇〇〇年を境にして月に十本以上の連載に追われる日々が始まったので、いろいろなメディアに書いたエッセイをまとめるだけの時間が取れなくなった。つまり、書き散らすだけになってしまったのである。
さらに二〇一〇年ころからは、私がコレクションした版画や挿絵本を練馬区立美術館や群馬県立館林美術館で展示するという仕事が加わるようになったので、自分が過去に何を書いたのかさえ覚えていないアナーキーな状態に陥った。
こんな調子で二〇一〇年代は過ぎていったのだが、今年の春、以前、青土社で『大読書日記』を担当していただいた渡辺和貴さんから、今度、勤め先が作品社に変わったので、私の膨大なエッセイを何冊かの本にまとめて出したいというご提案をいただいた。
私としても、連載ものを単行本にするという作業と展覧会の仕事が一段落つきそうなのでOKを出したところ、渡辺さんは驚くべき情熱で二十五年にわたって私がさまざまな雑誌に書き散らしたエッセイを集めてきてくださった。
その第一弾がこの『東京時間旅行』というわけである。
なかには書いたことさえ完全に忘れていたエッセイもあり、「へえー、こんなことよく調べたな」と自分で感心しながら読んだものもある。また、書いた時点では「現在」のことを取り上げたはずが、時間の経過で、それ自体が時間旅行的なものになってしまったエッセイもある。
いずれにしろ、足で歩いてドキュメントで裏を取るという姿勢は『パリ時間旅行』のそれと変わりはない。パリを愛するが、東京も負けずに好きという読者が、私が想定する最高の読者である。そんな読者に楽しんでいただけたら、幸いである。
最後に、いちいちお名前は挙げないが、本書の中核となるエッセイを掲載していただいた『東京人』と『嗜み』およびその他の雑誌の歴代の編集者の方々、および、対談の再録を快諾してくださった岸本葉子さんに、心からの感謝を捧げたい。
二〇一七年九月十八日
鹿島 茂